2008/06/02

国立移民の歴史都市




パリの美術館は、80年代ミッテラン大統領の治世におけるグラン・プロジェによって、現在のルーブル、オルセーといった大きな美術館の体制が整いました。それから20年すぎ、美術館や博物館の再編が進んでいます。例えば、前に紹介した歴史的モニュメント美術館は、同居していた映画博物館をベルシー地区の旧アメリカンセンターに移動させ「建築と文化遺産都市」Cité de l'architecture et du patrimoine を立ち上げました。ここで、都市としているのはLa Cité Internationale Universitaire de PARISを国際大学都市と訳すのに倣っているだけなのですが、今日行った。国立移民の歴史都市もCité nationale de l'histoire de l'immigrationと表記されていますが、どうも都市と訳すとしっくりきません。それは、音楽都市La cité de la musique でも一緒かもしれませんが、とりあえず都市と訳すことにしておきます。

この移民の歴史都市は、もともとはアフリカ・オセアニア美術館だったのですが、ジャン・ヌーヴェルによって設計されたケ・ブランリー美術館ができたため、そこにコレクションを移し、移民大国のフランスの現在を意識しつつ、その歴史を展示する博物館をつくったというわけです。この背景には、政治的な取引が見え隠れしますが、移民に対して寛容でない現在のサルコジ大統領の下で、この博物館がどれだけ機能していくかが注目されます。

さて、その移民の歴史都市では、現在「1931年植民地博覧会の時代における外国人」という展覧会が開かれており、この展覧会のポスターをメトロの駅で見かけたとき、是非行こうと思っていました。また、今日は月初めの日曜日で、入場無料になるので、ポルトドレまで足を運びました。

先に、アフリカ・オセアニア美術館だったと書きましたが、実はこの博物館は展覧会が指し示すように、1931年の植民地博覧会の会場のために作られたものでした。設計はアルベール・ラプラードらによるもので、アール・デコ様式の内装と、ファサードに彫刻家アルフレッド・ジャニオによる植民地主義の図像のレリーフが圧巻です。ここで、フランスの植民地主義は正当化される一つのプロパガンダとして機能したのです。

ここでは、特別展と常設展示があり、その常設展示では、主に写真家なのですが、アーティストの作品と展示資料のコラボレーションといった感じでした。ルーブルにおけるヤン・ファーブル、あるいは狩猟と自然博物館の事例とも重なります。ここ数年の博物館の再編に、様々な現代アートが取り込まれていく様が興味深かったです。

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