2009/02/27

アルバート・ヘリング@オペラ・コミーク座



ルーアンのオペラとの共同製作のブリテン作曲アルバート・ヘリングを見る。
指揮はアクセントゥス率いる、ロランス・エキルベイ この人は人気ものだけど、アンチファンも多くてブーイングの嵐になるときもある。と ころが、今回はそつなくまとめて、なかなかよろしい。考えてみれば、こちらに来て一番最初のコンサートはアクセントゥスによるフォーレのレクイエムだっ た。一年たって元に戻った感じ。
今回の演出は、監視ビデオが小道具として使われ、オペラとビデオの関係性に注目している私としては、良い事例をみたような気がする。キャストは以下の通り。外れがない。演出も、三人の子供の使い方が面白かった。
Lady Billows Nancy Gustafson
Florence Pike Felicity Palmer
Miss Wordsworth Ailish Tynan
Mr. Gedge Christopher Purves
Mr. Upfold Simeon Esper
Superintendant Budd Andrew Greenan
Sid Leigh Melrose
Albert Herring Allan Clayton
Nancy Julia Riley
Mrs Herring Hanna Schaer

フィガロの結婚@シャンゼリゼ劇場





今僕が世界最高の指揮者だと思っているマルク・ミンコフスキーと彼が率いるレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーヴルがピットに入ったモーツァルト「フィガロの結婚」を、シャンゼリゼ劇場で見た。2001年の制作されたもので、今回が3回目の再演ということなので、いわばスタンダード化した演出なのだろう。Jean-Louis Martinotyの演出は、奇をてらうことなく正統的なもの。既にNHKでも2004年の再演が放映され、DVD化もされている。初演から2回までの再演の演奏を担当していたのが、ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルトケルン、またCDでは伯爵(サイモン・キーンリィサイド),伯爵夫人(ヴェロニク・ジャンス),スザンナ(パトリシア・チョーフィ),フィガロ(ロレンツォ・レガッツォ),ケ ルビーノ(アンジェリカ・キルシュブラガー)という豪華キャストのCDが発売されていて、これは本当に素晴らしい演奏だった。得に、 ニコラウ・デ・フィゲイレドが担当する通奏低音が本当に素晴らしく、私の愛聴盤となっている。
今回のフィガロでは、それを乗り越えるかということが問題になるかもしれないが、全く別のものと考えて見た方がよさそうだ。今回の配役は、伯爵P・スパニョーリ、、伯爵夫人M・コヴァレフスカ、スザンナO・ペレチャトコ、フィガロにV・プリアンテ、小姓ケルビーノA・ボニタティブスというもの。ヤーコプスのCDに比べれば劣るが、伯爵以外は新進の歌手たちの活きの良さを感じた。得に伯爵夫人のコヴァレフスカ、2007年の新国立劇場でのフィガロでも同役を歌ったが(このときはパスして聴いていない)、最近はメットの常連になっているのも納得する。さて、ミンコフスキーだが、第三幕の結婚式における舞曲の場面など、彼の美しい指揮を見ながら、この曲を再び聴けたことに感謝の気持ちみたいなものを感じることになった。

2009/02/26

ペール・ラシェーズ墓地 その4 文学者と哲学者


メルロ・ポンティの墓

オスカー・ワイルドの墓には サロメを意識してか キスマークがたくさん

マルセル・プルーストの墓

アポリネールの墓

ペール・ラシェーズ墓地 その3 芸能人など


ジャズ・ピアニスト ミッシェル・ペトルチアーニ 大好きだったのだけど、しばらく聞いていなくて亡くなっていたことも知らなかった。


エディット・ピアフの墓

イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレの墓 プレイボーイのモンタンは泣かせた妻と一緒に眠っています。

ペール・ラシェーズ墓地 その2


スーラの墓、そういえばグランドジャッド島を地下鉄の地図で見るのだが、現在の状況を確かめに行っていない。

ジェリコーの墓 メデュース号の筏のレリーフがあります。

見よ!この堂々とした感じを! ドラクロワの墓
次は美術家たちですが、ドラクロワの墓は堂々としています。立派でした。

ペール・ラシェーズ墓地へ その1 作曲家たち


ベルカントオペラの ベッリーニの墓

エネスコの墓

プーランクの墓

天才! ビゼーの墓

ショパンの墓 繊細な感じがする

我らがロッシーニの墓

まだ行ったことがなかったペール・ラシェーズ墓地へ行く。地図をもらい、事務所から近いカミーユ・ピサロの墓を目指す。ところが、地図がアバウトすぎて見つからない、ピサロはパスと宣言して、写真家のナダールを目指すが、見つからない 天気も悪かったので、アバウトに回ることにして、有名どころの墓参をしました。最初は作曲家たちです。

2009/02/22

Notorious展@Le Plateau


会期末の近い、Notorious展を見に、久しぶりに19区のプラトーへ、展覧会はヒッチコックのNotorious 汚名にインスパイアされた展覧会。ここ数年のイル・ド・フランスのFRAC(地域圏のための現代美術のための基金)のコレクションされたもの。とはいえ、汚名にこだわらずに、展示をみると最近の16mフィルムの作品が三つあり、ある種の反動のような気がした。面白かったのは、Morgan Fosherの()という作品、時代も国もバラバラのフィルムの断片をつなぎ合わせたもので、同じような作品はビデオでもあるが、16mで無声の作品は初めて。

チュミの執念



ラ・ヴィレット公園の赤いフォリーは、80年代の都市計画のエポックメーキングな出来事だったが、それから20年経ち、その公園の有効性は微妙なものになっている。アルセナーレではトラム展と別に、19区の運動場と、学生寮のコンペの展示があり、その運動場のコンペには、チュミやペローらが参加していた。面白いのは、チュミだけが隣接するラ・ヴィレット公園との連結を意識したプランになっていること・・そして、赤いフォリーは執念深くマッピングされることになる。それにしても、駐車場に作られることになる、ジャン・ヌーヴェルのフィルハーモニーの形がいやらしくかんじる。

トラム展@パリ市都市計画博物館





アルセナールの都市計画博物館で開催中の、トラム展を見る。パリ市がトラムの3番線をポルト・ドゥ・ラ・シャペルまで延伸しようという計画の展覧会だ。フランスは、ストラスブールの成功をきっかけとして、全国各地でトラムルネッサンス事業が盛んで、それを軸とした都市計画が興味をひく。ストラスブールもトラムを導入した際に、アートを一緒にインストールしたが、このブログでも紹介したように、パリもトラムのためのアート作品をインストールしている。この展覧会では計画図のなかに、既にアートのための場所も確保されていて、その意気込みを強く感じる。

ブーレーズ&内田光子 シェーンベルク@サル・プレイエル



ラジオ・フランス管のコンサート、指揮は83歳のブーレーズ、ピアノは内田光子、全曲シェーンベルクというプログラムにでかける。最初に、管弦楽版の「浄夜」 幕間を挟み、ピアノ協奏曲と管弦楽のための変奏曲というもの。ブーレーズは見納めかもしれないと思いながら出かけると、まだまだ大丈夫といった感じになる、元気なおじいさん。相変わらず、明晰でモダンな演奏となる。内田は、この曲を既にブーレーズ指揮のクリーブランド管で録音しているが、このCDはクリーブランド管のすばらしさもあり感心している。それに比べるとラジオ管の演奏は劣るが、内田のピアノはそのまま、この曲もモーツァルト同様歌うように弾くのだが、かといってロマンティシズムにあふれているというわけでもなく、ピアノとオケの音響の掛け合いを堪能する。最後の、管弦楽のための変奏曲、昨年の夏に同じ会場でバレンボイムの指揮のウエスト・イースト・ディヴァン管で聞いたものだが、正直言えば そちらの方が感動的だった。というか、曲のエネルギーを強く感じた。ブーレーズは、何か控えめな感じで、たんたんと交通整理しながら、指揮をするといったかんじで、曲の見通しは良いが、そこが鼻につく。

2009/02/19

100回目でした。

帰国に向けて、色々整理しているのだが、コンサートやオペラ、バレエ、ダンスの記録をエクセルでつけているのだが、昨夜のマーラー9番のコンサートが こちらに来て100回目の公演だった。
内訳が、コンサート45回、オペラ41回、コンサート形式オペラ4回 バレエ等10回。支払ったチケット代は2573ユーロ50 滞在期間のほとんどはユーロ高だったので、単純に150円で計算して38万円程度か・・・今のレートだと30万円ぐらい 安くはないけど 高くもない しかし日本では考えられない。おそらく帰国すると、たくさんの仕事が待っていて、こんなことは二度とできないでしょう。

エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団 マーラー9番@サル・プレイエル


のだめカンタービレの千秋は、指揮者になりたいのだけど、そのために最初はピアニストとして一流を目指していた。昔はピアニストのイメージが強かったのに、今では指揮者のイメージの方が大きい指揮者として、バレンボイム、アシュケナージ、そしてエッシェンバッハの名があがるだろう。チョン・ミョンフンはチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門2位(74年)だが、ピアニストとしての活躍は兄弟との室内楽に限られている。エッシェンバッハは、チェルニーなどの教則本の録音も有名なのだが、ポリーニみたいにピアノだけを極めるというわけにはいかなかった。そして今では、フィラディルフィア管とパリ管の指揮者として、多忙を極めることになる。そのエッシェンバッハとパリ管の契約は残り1シーズンのみとなったが、サル・プレイエルのリニューアルコンサートでマーラーの「復活」を演奏するなど、彼にとって思い入れの強い作曲家だ。昨夜、そのマーラーの9番交響曲の演奏会を聞いた。もともと、エッシェンバッハは、丁寧な楽曲分析をする指揮者で、時としてゆっくりとしたテンポになりがちなのだが、今回の演奏も同様で、いきなり打ちのめされた。おそらく現在この曲の第一楽章を、世界で一番ゆったりと演奏する指揮者であることは間違いない。あまりにゆったりとじっくりしているので、時計を気にしていていると、おおよそ34分近くかかっている。ちなみに、それ以降は計測して、第二楽章 16分4秒 第三楽章 12分48秒、 第四楽章 29分35秒 その後40秒ほど沈黙して拍手となった。これは情念たっぷりのバーンスタインの演奏時間よりもながいのだが、かといって重くない。デフォルメ感は強く、音の塊が崩壊しそうな緊迫感があるのだけど、それがねっとりしているのだ。しかし、そのねっとり感には嫌らしさがなく、どきどきしながら、その音と戯れることが可能だ。そして、最後に指揮棒を止めてから、会場からはフライングブラボーもなく、エッシェンバッハとパリ管のメンバーの呼吸が一息ついたところで、盛大な拍手となった。唯一無二のマーラーなのだ。

ブースマンス「輪舞」@バスティーユ アンフィテアトル




新春のブースマンス作曲「王女イヴォナ」=「ブルゴーニュの王女イヴォンヌ」の公演は、体調が悪くて第一部で帰ってしまった。同じ作曲家の「輪舞」(いわ ずもがなシュニッツラー原作=リュック・ボンディの台本)がバスティーユのアンフィテアトルで上演されたので見に行った。先週末から、風邪気味で体調が悪 かったのだが、ここ数日家にこもって養生していたら、どうにかオペラを見ることができた。
さて、リュック・ボンディもブースマンスも、モルティエ総裁のモネ劇場以来のつながりなのだろうが、今回の演出はなんとハリー・クプファー、オ ペラ・スタジオ・ネーデルラントによる上演だった。クプファーは赤い布と白い布を使い分け、それぞれの性愛を表現したのだけど、最後に娼婦が掃除夫に足蹴 にされて、頭から血をながしながら、それでも人生は続くで後味悪くおわる。ところで、席取りに遅れて字幕がよく見えなかったのだけど、tu とvousを使い分けていたのだろうか?翻訳者はそれを考えていないかもしれないので、リュック・ボンディ自身がdu とsieをどのように使い分けているのかは、分からないのだけど 少し気になった。

2009/02/17

エトヴェシュ「更級日記」@オペラコミーク座






ハンガリーの現代作曲家ペーテル・エトヴェシュによるオペラ「Lady Sarashina」つまりは、更級日記を、オペラコミーク座で見た。このオペラは、元々は昨年の日仏修好150周年事業の一つとして、リヨンで上演されたもの。演出は山海塾の天児 牛大、衣装とメイクは急逝した山口小夜子が担当するはずだったが、太田雅友が担当、美術は中西夏之、同じ作曲家によるチェーホフの「三人姉妹」のスタッフによるものということだろう。幻想的な舞台で、衣装も美しいのだが、舞台の前に食事をしていたためもあってか、現代曲のためもあってか、少しうとうととする。オペラコミーク座は、ガルニエ宮と比べるとこぢんまりとしていて、なかなか雰囲気がよいです。今回は、幕間がない一幕ものだったので、内装を楽しむ時間が少なかったのが残念。


2009/02/14

institutをめぐって





ルーヴル東面ファサード↓



DeMachyが描いた、工事風景。

ベルリーニによる第一案

リー・エーデルコートの投稿で、何気なくinstitutを学院と訳してしまった経緯は、そのコメントにも書きました。ゲーテ・インスティテュートしかり日仏学院しかりで、何か語学学校のイメージがつきまといますが、研究施設に多く用いられるので研究所の方が妥当でしょう。ところで、フランスでこのinstitutを研究所と訳さない例があります。それはフランス学士院L'Institut de Franceです。というのも、この組織はアカデミー・フランセーズはじめ、碑文・文芸、芸術、科学、倫理・政治学の5つのアカデミーで構成されているため、日本語訳するときにフランス研究所とするよりは、アカデミーの訳語として定着している学士院の方を採用したのでしょう。さて、このフランス学士院の建物は、ルイ14世の顰蹙をかったニコラ・フーケの邸宅ヴォー・ル=ヴィコント城の設計者、ルイ・ル・ヴォーの設計によるものです。この建物は、彼が手がけたルーヴル宮殿の方形宮の中庭からも眺めることができ、芸術橋の先に視線を受け止めるように建っています。この建物は、ルーヴル宮殿の東面ファサードの建築の為に来仏していたベルニーニの影響をうけたものとされ、確かにセーヌ川に面して、湾曲した広場をもち、後にクロード・ペローらの手により作られた、コロナード(列柱)を有する、現在のルーヴル宮殿東面ファサードと比較すると、フランス古典主義の趣味とイタリアの趣味の差異が際だつことになります。この対比は、建築だけの問題ではなく、音楽とくにオペラの受容におけるフランスとイタリアの問題とも、底流でつながっているのでしょう。

2009/02/13

ボザール周辺のピカソとマネ


ボザールからすぐ側のところにマネの生地がある。

ピカソがゲルニカを描いた場所もすぐ側に、またピカソも描いたバルザックの「知られざる傑作」の舞台もこのあたりとなる。

ボザールの教授を務めている川俣正さんのアトリエを訪問した。最近ジャポニズム学会の講演会に招かれ、朝日新聞にも記事がのっていたそうだが、そこで村上隆の話とか、越後妻有のプランとか、ボザールの学生気質など、ボザールのすぐ前のカフェで2時間ほど語り合った。そのカフェには、ボルタンスキーの指定席があるとのことだが、そのカフェのすぐそばには、オスカー・ワイルドやボルヘスが滞在していたホテルもある。また、ピカソがゲルニカを描いた場所やマネの生地のプレートを発見し、今まで知らなかったことを恥じた。