2008/05/31

ムーティのシューベルト@サンドニ音楽祭


ムーテイはムー帝様ぶりを発揮していました。




 以前の日記でも紹介したフランスの歴代の王様達の墓所でもあるサン・ドニのバジリカ大聖堂で、今月末から6月は音楽祭が開かれています。そのオープニングは、イタリアの名指揮者リッカルド・ムーティとフランス国立管弦楽団によるシューベルトのミサ曲第6番を中心とするプログラムで、コンサートは木曜日と金曜日の二日行われ、その金曜日の会に出かけました。
曲目は以下の通り
Porpora "Salve Regina."
Cherubini "Chant sur la mort de Haydn."
Schubert "Messe en mi bemol majeur."

G.Kuhmeier soprano
E.Garanca mezzo-soprano
T.Lehtipuu tenor1
H.Lippert tenor2
L.Pisaroni basse
B.Casoni 指揮  Choeur de Radio France
R.Muti 指揮 Orchestre National de France
 このコンサートは、大聖堂入り口のパイプオルガンの下あたりをステージとして、客席は身廊と側廊にもうけられていました。もしかしてと思い、しっかりとトイレを済ましてから会場に行ったのですが、案の定トイレはなく、外のカフェか公園に設置されている公衆トイレを使えといいます。夜になるとまだまだ底冷えするのに、開演前にワインやビールを飲んでいたら辛くなるでしょう。1000人以上は入場していると思うので、それなのに簡易トイレを用意しないというのは、いかがなものかと思いました。会場に入ると、席までを案内するボランティアがいて、彼らは品の良い生粋のフランス人高齢者達です。会場内を見渡すと、いわゆるアラブやアフリカ系の人々の姿が殆どなく、現在のサン・ドニの状況からすれば、異常のような気がしました。このような音楽祭は町おこしの一環で行われるのが常なのに、多くの移民系の人々が住んでいるサン・ドニの現状から乖離しているように思われたのです。この音楽祭は、誰のために行われているのだろうかか?そんな疑問をもってしまいました。
 コンサート自体ですが、はじめの二曲は会場が音は響くというよりは、こもるといった感じであり、なかなか聞き取ることが難しかったです。特に、小編成オケで演奏されるバロック時代の作曲家ポルポラのサルヴェ・レジーナ(幸いなるかな女王)は、若手メゾで人気が高いエリーナ・ガランチャによるソロだったのですが、その美しさを堪能するまでには至らず残念でした。
 しかし、メインのシューベルトになると、ムーティは音の響きを良く計算しながら、この大曲を指揮すると共に、オケも会場となじみ、こもりの弊害は少しずつなくなり、心地よい響きへと変容していきました。ある程度大きな音で会場が充満されることが必要なのかもしれません。また墨田トリフォニー以来のムーティは、相変わらずムー帝様で・・笑・・そのカリスマ性を強く感じました。まだまだ老いていなくて、先週聞いたアバドとの違いを感じました。
 ガランチャの他には、ソプラノのゲニア・キューマイアーやヘルベルト・リッパートらが共演したので、なかなか贅沢なコンサートでした。これで身廊のA席は60ユーロ、B席は38ユーロ、そんなに安い値段ではありません。これが移民系住民を排除するようなコンサートとなる、大きな原因なのでしょう。

2008/05/30

チョン・ミョン・フン指揮ドレスデン・シュターツ・カペレ管@シャンゼリゼ劇場




ブールデルの彫刻

モーリス・ドニの天井画

ここは、バレエリュス(ロシアバレエ)が多く上演された場所です。ストラヴィンスキーの春の祭典はここで初演されました。

韓国の指揮者チョン・ミョン・フン指揮による、ドレスデン・シュターツ・カペレ管弦楽団のコンサートがあり、久しぶりにシャンゼリゼ劇場に行きました。シャンゼリゼ劇場は、1913年に完成した近代建築史には必ず出てくるといってよいもので、鉄筋コンクリート建築の父オーギュスト・ペレの設計によるものです。装飾はアール・ヌーヴォー様式、天井画をモーリス・ドニ、ファサードにあるレリーフをアントワーヌ・ブールデルが手がけていることでも知られています。オルセー美術館には、ドニの天井画の模型や下書きが展示されています。
さて、昨夜のイタリア音楽made in Franceに続き、韓国人指揮者の棒によるとはいえ、バリバリのドイツ音楽を聴くことになりました。プログラムは、以下の通りです。
Messiaen : Les Offrandes oubliées
Mozart : Concerto pour piano et orchestre n° 20 en ré mineur K. 466
休憩
Beethoven : Symphonie n° 5 en ut mineur
Myung-Whun Chung, direction
Lars Vogt, piano
 バリバリのドイツ音楽と書きましたが、コンサートの前半部は、メモリアルイヤーのメシアン作曲「忘れられた捧げもの」で、チョン・ミョン・フン得意の曲から始まりました。最初からオケがうまいです。とはいえ、このオケで、この曲を聴くことの違和感を少し感じました。次の、モーツァルトのピアノ協奏曲20番、ピアノはラルス・フォークト、チョン・ミョン・フンあるいはサイモン・ラトルもお気に入りのピアニストです。とても綺麗な音で感心しました。
 しかし、なんといってもすごかったのはベートーヴェンの「運命」そして、アンコールで演奏されたウェー バー「魔弾の射手」序曲 といった超超メジャーな曲でした。そういえば、生のオーケストラで運命を聞くのはどのくらいぶりかしら?オペラ中心の鑑賞生活故、コンサートにはこれぞという曲に行くのですが、ついつい有名曲を意図的にパスしがちで、運命を聞くのは本当に久しぶりだったこともあり、あらためてこの曲のすごさを感じました。
 チョン・ミョン・フンはオケを、思いっきり鳴らすのですが、かといって感情に溺れるわけでもなく、きわめて理知的に、しかも熱血に音楽を作っていきます。しかも、ドレスデンのオケはチョンの意図を正確に表現すると共に、ドイツの伝統的ないぶし銀のような音を鳴らすので、脱帽しました。本当にすばらしかった。しかも、たった12ユーロ(もっと安い席は5ユーロから)で、このような音楽に触れることの出来るパリ市民は幸せだなとも思った次第です。

2008/05/29

ベッリーニ「カプレーティ家とモンテッキ家」@バスティーユ 




二階バルコン前のロビーには、終演後のディナーがセットされていました。

パリに帰ってきて、今シーズン注目のオペラ、ベッリーニ作曲「カプレーティ家とモンテッキ家」を、バスティーユのオペラ座で見ました。何が注目かというと、世界的なプリマドンナであるアンナ・ネトレプコがジュリエッタを歌うからです。ジュリエッタ つまり この曲は、ロミオとジュリエットの話なのですが、男性役のロメオは、女性歌手が男性を演じる「ズボン役」の歌手が歌い、今回はアメリカのメゾ・ソプラノ ジョイス・ディトナートが歌いました。演出は、ロバート・カーセンによるもので、いわゆる読み替えをせずに、13世紀のベローナが舞台となっています。指揮は、ベルカントオペラのスペシャリスト エヴェリーノ・ピドで、イタリアオペラらしさが十二分に出ていました。 配役は以下の通り
Direction musicale Evelino Pidò
Mise en scène Robert Carsen
Décors et costumes Michael Levine
Lumières Davy Cunningham
Chef des Choeurs Alessandro Di Stefano
Capellio Giovanni  Battista Parodi
Giulietta  Anna Netrebko
Romeo   Joyce DiDonato
Tebaldo  Matthew Polenzani
Lorenzo  Mikhail Petrenko
 このオペラは、ジュリエッタ(そしてズボン役のロメオ)以外は合唱も含めて全て男性が歌うというもので、全体的に重厚さがあるなかで、女性歌手が歌う二人の主役の歌唱が余計に際だちます。今回のジュリエッタは、その期待を裏切ることなく、有名なアリア「ああ、いくたびかあなたのために天に祈ったことか」などは、歌唱技巧を駆使してその心情を見事に表現していてすばらしかったです。また、ロメオも良かったのですが、フランスで聞くイタリアオペラという枠組みがどうしても残ってしまう。それは、メトロポリタン歌劇場で聞くイタリアオペラという枠組みと同じかもしれないが・・もし、このジュリエッタがデセイであっても、そのイタリア的な雰囲気は伝わることはないでしょう。結局、ピドのイタリア的な音づくりのなかで、一番しっくりしていたのは、テバルドのマシュー・ポレンツァーニというイタリア人歌手だったかもしれない。
 最後に演出ですが カーセンの演出は、きわめてオーソドックスで、見ていて退屈していたのですが、最後にロメオとジュリエッタが死んで、両家が再び剣を交えて終わりとなるもの、ジュリエッタの父親カッペリオがいくら嘆いたとしても、怨念は続くといった感じで、いかがなものかと思いました。

ハンブルガーバーンホフ現代美術館など





27日も備忘録的に、飛行機が午後3時だったので、午前中から一つだけ美術館に行くことにした。空港へのバスの便がよい、中央駅近くのハンブルガーバーンホフ現代美術館にいくことにした。この美術館は、オルセー美術館と同様、もともとは駅舎だった建物を美術館に改造したもので、ベルリンにおける現代美術の拠点となっている。中央の広い空間には、現代ドイツを代表するアーティストA・キーファーの作品が置かれ、圧倒的なのだが、それよりも圧倒的なのは、展示空間の広さといえるかもしれない。
入場して左奥には、長い展示空間があり、いつこの展示は終わるのか?と思うぐらい大きい。そこでは一階部分で、ウォルフガング・ティルマンスの回顧展が開かれていた。ティルマンスは、写真を中心とする現代作家であるが、いわゆるドイツのベッヒャー派の作風とはことなり、光そのものを造形的に把握しようとする。
そして、この展示が終わると、美術館の所有している写真の展示が延々とつづくことになる。
そのなかで、日本とも関わりの深いトーマス・シュトルートの作品のなかに、パリの人工地盤の風景を見いだすことが出来た。79年から80年代初頭にかけて撮影された作品には、まだホテルニッコーとなっているし、ある種の空虚なユートピアが写しこまれているような気がした。

2008/05/27

日本の戦後の出発点 ポツダム宣言





5月26日 備忘録的に
再度ポツダム訪問 今回は新庭園を中心に見る。最初にフィングストベルクのベルヴェデーレに行くのだが、ここは統一後に修復され公開されているもの、10年前は廃墟だったのが、観光と世界遺産の文脈による経済効果はこういったものを復活させる。ツェツィリエンホーフ宮殿はポツダム宣言の場所であるが、イギリス風の別荘であり、ここで日本の戦後が始まったと思うと、歴史の重さを感じる。すぐとなりに、廃墟から復活したビール工場があり、そこで昼食をとる。湖畔のビアガーデンでのビール、こんなに美味しいものはない。
ベルリンに戻り、オリンピックスタジアム方面に行き、ル・コルビュジエのユニテを訪問する。中には入れないが、外観からみると、ここのユニテはブリーズソレイユがないことに気づく。その必要性がないということか?市内に戻り、リベスキントのユダヤ博物館の写真をスライドでしかもっていないので、デジカメで撮影する。デジカメに鳴ってから、やたらシャッターを押し、対象を見なくなる。その後、フリードリヒシュトラーセのドイツ料理店で、ビールとアイスバインを食べる。ベルリン最後の夜に、ベルリンに来たという実感をえるが、こんなもの一人じゃ食べきれない。宿のお世話してもらっているK氏とシェアして、ようやく完食して満腹。自由大学に留学中のMさんとも合流して、美学談義をしてから帰宅する。

2008/05/26

ポツダムとローエングリン




ネット環境が悪いので、手短に ベルリン三日目
今日は、ポツダムへ散歩に行く。メインは、サン・スーシー宮殿の公園で、今回は宮殿内の見学はパスして外観のみの見学 絵画館、オランダ風車、オランジェリー、新宮殿、シャルロッテンホーフ宮殿、中国ハウス、ローマ風浴場、平和教会と、ひたすら歩く。というのも、午後5時からベルリンドイツオパーでワーグナーのローエングリンを見るため、早めに帰らなければいけないからだ。結局午後3時まで歩き、ベルリンに戻り、身支度してからオペラへ、オペラは、ゲッツ・フリードリヒ演出によるもの、配役などあまり意識せずに切符を購入していたのだが、悪役フリードリヒは聞き慣れた声で、セルゲイ・レイフェルクスだった。主役のローエン・グリンはStuart Skelton エルザはPetra-Maria Schnitzer うーん、可もなく不可もなくといった感じ、悪役の二人フリードリヒとオルトルート(Susanne Rasmark)に食われちゃった感じだった。ゲッツ・フリードリヒの演出は、1990年プルニエのもので、今回が49回目の上演という。最後にオルトルートは倒れずに、白鳥から戻ったゴットフリートとにらみ合いで終わる。ああ、そうなんだ・・・2幕の終わりでも、エルザとオルトルートは、活人画的なにらみ合いで終わるのだが、その緊張感に比べると、最後はなにかあっけない感じがした。

2008/05/25

ベルリンフィルのコンサート ベルリンビエンナーレ



24日、朝からベルリンビエンナーレを見るため、zooから200番のバスにのる、フィルハーモニー前のバスのモニュメントをチェックするために下車すると、多くの人が並んでいる。聞くと、火事でキャンセルになったコンサートをまとめて、森の中のヴァルトビューネでコンサートを行うという。チケット争奪戦に敗れていたが、ひょんなことからコンサートチケットを得ることが出来た。良くNHKbsで放送されている、ベルリンフィルの夏のコンサート会場にも興味があり、30ユーロというチケット代は高価に感じたが、行くことにしたのだ。
フィルハーモニーの前には、そこから収容所に送られてバスをモチーフにした負のモニュメントが作られていて、その隣の、リチャード・セラのモニュメントと対称的だった。
ベルリン・ビエンナーレはミース・ファン・デル・ローエ設計による、ガラス張りの新国立ギャラリーの一階部分他、市内3カ所で開催されていた。今回で、5回目を迎えると言うが、規模は他の国際展に比べると小規模、作家もビッグネームがなく、少し寂しい感じがした。パリに帰ってから、まとめて報告することにします。
ヴァルトビューネは、ベルリンのオリンピックスタジアムの横にあり、すり鉢状の野外劇場で、正直クラシック音楽を聴くような場所ではない、プログラムは、ポリーニがピアノを弾く、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番、休憩後に、ベルリオーズの大局「テ・デウム」というものだった。最初に、何か猿が出てきたと思ったら、サイモン・ラトルで、今回の火事のこととを詫びて、アバドとポリーニを紹介して、コンサートは始まった。
うーーーん、PAからのベルリンフィルの音は、正直いって厳しい。最初のピアノ協奏曲は、逆光でサングラスしていてもまぶしいぐらいで、大変だった。それでも、熱狂的なファンが喝采を送っていた。休憩後、ビールを買いに屋台へいくと、長蛇の列だったのであきらめ、ベルリオーズを聞く、この曲は、少年少女合唱団、ベルリンとミュンヘンの放送合唱団も加わり、美貌のオルガニスト、そしてテノール歌手のソロといった編成だった。ベルリオーズ特有の音楽と、森の鳥の鳴き声、風の音が混じり合い、さらには子供の泣き声まで混じり合い、不思議な経験をした。ヴァルトビューネでのコンサートはベルリン市民にとっては、ピクニックであり、テ・デウムという宗教曲なのに、となりのおばさんはサンドイッチを食べ、おじさんはビールを飲みながらの鑑賞となっている。これは、どうかと思う一方、ベルリンフィルあるいは、クラシック音楽が日常化しているという証のように思え、興味深かった。

2008/05/24

ベルリンにて

写真なしですいません。ベルリンビエンナーレを見ています。うーーーん 今ひとつかな
詳細は後日、これから火事で中止になったコンサートの代りに行われる野外コンサートへ出かけます。

ジャン・ヌーヴェルの仕事


ベルリンに来て、過激な演出と噂のコミッシュオパーの「後宮からの誘拐」を見ようと思い、行ってみたのですが、パリと違って夕方7時開演で、見損なってしまいました。まあ、あらかじめチケットを用意していなかったので、いけたら行く程度のつもりだったのですが、仕方なく近くのギャルリー・ラファイエットに行きました。ここは、フランスの建築界のエース、ジャン・ヌーヴェルの手によるもの、全面ガラス張りの外観、内部のガラスのクーポラ等、斬新なデザインなのですが、使い勝手が悪そうな建築で、建築家がやり汚しているような印象をもちました。こんな建築をすごーーいといって、今の建築学生は見るのかしら?と思うと、何か切なくなります。

ベルリンフィルハーモニーの屋根




ベルリンにやってきました。フンボルト大学に研修中の後輩のKさんのアパートにお世話になり、火曜日まで滞在します。ベルリンでは、当初アバド指揮ポリーニがピアノを弾く演奏会に行く予定でしたが、チケットがとれずにいました。ところが、フィルハーモニーが火災になり、キャンセルになってしまいました。2階建てバス=200番でzoo方面に向かうとき、フィルハーモニーの横を通るのですが、痛々しい屋根を見ることができました。帰宅後アパートのベランダで、食事をして気持ちが良かったです。

2008/05/23

トーリードのイフィジェニー@パリオペラ座 ガルニエ


オケピの右側にアクサントゥスが陣取っています。
休憩に入っても、舞台では養老院の女性達がケーキを食べています。


今日は上の方の席だったので、シャガールが間近に見えました。

オペラ座に来る途中、デモ行進していて、オペラ座周辺は交通混雑していました。

18世紀のグルックの手になる「トーリードのイフィジェニー」を見ました。


あらすじは、このページを参考にしてください。





キャストは以下の通り
Direction musicale Ivor Bolton
Mise en scène Krzysztof Warlikowski
Décors et costumes Malgorzata Szczesniak
Lumières Felice Ross
Conception vidéo Denis Guéguin
Chorégraphie Saar Magal
Dramaturgie Miron Hakenbeck



Iphigénie Mireille Delunsch
Oreste Stéphane Degout
Pylade Yann Beuron
Thoas Franck Ferrari
Diane Salomé Haller
Iphigénie (rôle non chanté) Renate Jett


Première Prêtresse Catherine Padaut*
Deuxième Prêtresse Zulma Ramirez*
Un Scythe/ un Ministre Jean Louis Georgel*
Une Femme grecque Dorothée Lorthiois



Freiburger Barockorchester
accentus Direction Laurence Equilbey





ポーランドの演出家Krzysztof Warlikowskiによる、読み替え演出で、何故か養老院を舞台としていて、主役のイフィジェニーの年取った役の女優さんが、歌を歌う若いイフィジェニーとは別に舞台で演じていました。また、合唱は私がパリで一番最初に聴いたコンサートだったアクサントゥスの皆さん、当然指揮者は麗しきローランス・エキルベィが担当、オーケストラは座付きオケでなく、古楽のフライブルガーバロック管で、いわゆるピリオド奏法による演奏であった。指揮者のボルトンは、太っていて頭の毛も薄く、古楽のスター達と比べて、顔立ちで損しているような感じだった。
このオペラの実演は、初めてだったのでミンコフスキー指揮ミュジシアン・デ・ルーブル・グルノーブルのCDを予習していたのだが(今回の上演で歌うミライユ・ドゥランシュとヤン・ブロンが参加している)、その溌剌とした演奏と比較してしまうと、ボルトンの演奏には、ひらめきのようなものがなく、堅実な感じだった。また、必ずしもアクサントゥスや歌手とのバランスも良いわけでなく、ひたすらパリでミンコが振るべきものなのだと確信してしまった。
今回は、写真でもわかるように、アンフィテアトルという正面だけど最上階での鑑賞だったのだが、前の席との間隔が狭く、足を伸ばすこともできず、とても不自由な気持ちになった。これがワーグナーだったら、きっとエコノミークラス症候群になってしまうだろう。
明日からベルリンに行くので、詳しく書くのはやめて、最後のカーテンコールでの話で終わりにする。それは、フランスの西本智実=エキルベイへに対するブーイングのすごさを目の当たりにしたからだ。この席は、コアなマニアが座る席でもあり、彼女が出てきて待ってましたとばかりに、ブーの声があがり、それに対して、エキルベイ派のブラボーが応酬するといました。
私は、ミンコフスキーのオッフェンバックものの常連であるヤン・ブロンの甘い声に魅了されました。タイトルロールのドゥランシュも、今まで何回か聞いていますが、ナタリー・デセイのような花がないので、今ひとつでした。

2008/05/22

日本の建築1996ー2006 パラレルニッポン@パリ日本文化会館

パリ日本文化会館で開催中の日本の建築1996ー2006展を見ました。予想が出来る展示なので、わざわざ500円(3ユーロ)も支払ってみようとは思っていなかったのですが、建築と文化財都市の会員は無料と言うことなので、見てみました。はっきり言って、お金支払う価値のない展示です。パリ市の都市計画美術館が無料公開なんだから、ただのパネル展示だけなのに、お金を取ってはいけません。    それはさておき、なにがだめかというと、日本のこの10年の建築、建築家の停滞感にいらだちを感じるからなのかもしれません。時代は、バブルの後遺症、サリン事件等のあとの90年代、現代美術の村上隆のような香具師もいません。清潔で衛生的なモダニズムに遁世して、何も新しいものを作らなかった時代。まだ、フランスの建築家たちが、中国や中東で阿漕な商売をしている方がましではないか?そんな気持ちになりました。
実は、この展示の中心となりつつあるのは、私と同世代の建築家たちだったりします。大学時代の友人の作品も展示されていましたが、確実に言えるのは建築のリアリティの欠如です。ブルータスカーサなどで賞賛されるような、美しい商品として消費されるだけで、人間の生活感のない、去勢された白い空間の連続なのです。見ていて気持ち悪いのです。そこにはユートピアもなく、まだ嘘くさいユートピアでも、それを信じていたオリンピアードの矛盾、さらにはそのオリジンであるル・コルビュジエの盲信の方が、まともだと思ったのでした。

2008/05/21

人工地盤の現在2 オランピアード




パリの札幌


冷凍食品専門のパリストアー
 4月にフロン・ド・セーヌ地区の人工地盤について書きましたが、今回は1968年~75年に作られた、オランピアード地区の紹介です。パリで一番新しい地下鉄14番線の終点が、オランピアードになっているのは気づいていましたが、それが、プラネックス邸同様15年ぶりに訪れるチャイナ・タウンのことだと気づくのに時間がかかってしまいました。
 この団地の特徴は、オリンピック開催地の名前がついているタワーが建ち並び、そのタワーとタワーの間に、人工地盤で作られた広場があるというものです。しかし、その人工地盤の広さは、デファンス地区のように十分に確保されていないため、タワーを見上げる感じが強くなります。ですので香港などのアジア都市のような感じでもあるのです。
 ここも、フロン・ド・セーヌ同様、30年の月日がながれ、かっての理想が現在でも成立しているのか、疑問になります。人工地盤の広場に設置されていたレストランには、シャッターが目立ち、治安も必ずしも良さそうではありません。無論、ここより郊外のHLMが立ち並ぶ都市に比べれば、リッチな場所なのでしょうが・・・
 ところで、チャイナタウンのスーパーに行くと、ぬかみそ漬けの素が売っていたので、早速購入してぬか床を作ることにします。今週末はベルリンに行く予定なので、それから帰ってきたら、こちらのキュウリやナスを漬けることにします。

13区のル・コルビュジエ プラネックス邸へ


救世軍

プラネックス邸 



15年前の内部空間
 今日は、国立図書館に行き研究者用のカードに変更手続きした。実践の事務に頼み、やっと英語で書かれた身分証明証を発行してもらったので、無事変更することができたのだが、年会費53ユーロのため、余分に18ユーロ支払うことに。それは良いのだが、今日は手続きと、内部の見学だけにして、近くのル・コルビュジエの建築をめざした。
 国立図書館から5分ぐらいのところに、1931年に竣工した救世軍がある。2年前にも一階の部分だけ見学したこともあり、デジカメで写真も撮影済みなので、ファサードだけを数枚写真をとり(それでも、入り口にホームレスがいて撮影するのは気を遣う)、15年ぶりに1924年の作品、プラネックス邸へ向かった。
 15年前は、下で写真をとっていると、夫人が家に招き入れてくれるという貴重な体験をすることができた。ものの本には、ランデブーをとれば見学可能のようなことが書いてあったが、定かではない。ここは、美術館でもなく私邸にすぎない。いわゆる白の時代の作品なのだが、ファサードだけでは判らないが、屋上には天井からの光を取り入れる山形の窓があり、かってのオザンファンのアトリエのようである。(ただし、オザンファンの方はそれをなくして、陸屋根となっているが)
 このあたりは、パリ市の周縁にあたるのだが、それはパリが近代化され人口流入が進むことで、、どんどん新しい団地を造らなければいけなくなったエリアであり、第二次大戦後はさらなる開発がすすみ、パリで最もパリらしくない場所へと変貌していくのだった。

2008/05/20

いつだってシトロエンはアヴァンギャルド






地下にDSの展示が・・しかし超合金のおもちゃのようで、哀れな感じがする。

 こちらに来て、早2ヶ月近くなりますが、初めてシャンゼリゼ大通りを歩きました。そして、新しいシトロエンのショールームにたまげました。シトロエンはDSのような超モダンで、アヴァンギャルドな車を作ってきた会社ですが、昨年オープンしたショールームも未来的な空間でした。
 このショールームのデザインをしたのは、マニュエル・ゴトランという女性デザイナー、一見ヘルツォーク・デ・ムーロンデザインの表参道のプラダビルに似ていますが、内部は車の展示の他に、ヴィトンらとコラボした生活空間デザインの提案を行っています。
 つまり、リッチでおしゃれな感じなのですが、私にはリアリティを感じることは出来ませんでした。これらのデザインは、高度な資本主義下のものでしょうし、それらが歴史の中で持ちこたえられることが出来るだろうか?疑問なのです。それを考えると、DSという車は、そのデザインのもつ革新性によって、現代にまで普遍性を持ち得ているだろう・・・と DSが大好きな私は思うのです。
 しかし、こちらに来て実際に走っているDSを見ることは出来ません。一度、ベルヴィルでアミを見ることはできましたが、現在では80年代のBXすら殆どみることができません。

2008/05/19

夜の美術館






 5月17日土曜日、パリの多くの美術館・博物館はLa Nuit des musées というイベントで、夕方から深夜まで無料開放されました。これは、ヨーロッパ各地でも行われているイベントで、普段は観光客で占領されている美術館、博物館が、パリ市民たちであふれかえっていました。

 私は、この日バスティーユでコンサートがあり、それが終わってから出かけました。コンサートが20時に始まり、22時に終了、それから博物館に行くというのは、いくら夏時間のヨーロッパでも、信じられないような時間です。とはいえ、有名どころの博物館は混雑が予想され、またバスティーユから、そんなに遠くないという条件を考え、一度言ってみたかった狩猟自然博物館Le Musée de la Chasse et de la Nature 行くことにしました。

 そして、この博物館のすばらしさを堪能しました。皆さんは、博物館学等で博物館の歴史を学んだことと思います。その際、博物館の原型として、ドイツの「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」とか、イタリアの「ステュデイオーロ」フランス「キャビネ・ド・キュリオジテ」などが出てきます。この博物館は、まさに現代の「キャビネ・ド・キュリオジテ」と言えそうです。

 それらを創出した貴族達は、驚異なるものをねつ造することも多かったのですが、現代の場合はその役回りをアーティストが行うというわけです。展示は、従来の展示品に混じって、アーティストの作品が混じり合って展示されているというわけです。アーティストたちは、オリジナルの資料に負けないような作品=オブジェを作り、何食わぬ顔して展示の中に没入させるのです。

 4月に、ルーブルでのヤン・ファーブルの展示について、話しましたが、ここにもファーブルは作品を設置しています。しかし、ルーブルでの展示のように、それがアートであるという了解は、ここでは困難です。アートと博物資料とが混じり合っていて、それがアートであるなんて、多くの観客は意識もしないという訳です。

 それと興味深かったのは、ラ・フォンテーヌの「寓話集(イソップをもとにしている)」のキャビネットです。このキャビネットには、動物の寓話の文章と図版が示され、引き出しを引っ張ると、登場する動物の糞やら、テキストやらが出てきて、覗き窓を覗くとビデオアートが見えるという仕組みです。こういうものを作る、センスの良さはやはりフランスだなと思うところが大きいです。