2008/04/30
音楽都市「最後の審判」チクルス
案内の機能を持つフォリー 背後が音楽学校
カフェの機能を持つフォリー
音楽都市 公園側からの眺め、設計はクリスチャン・ポルツァンパルク
円いボールみたいなものは、ジェオード(全方向スクリーンの映画館) 背後が科学産業博物館
竹の庭、ストライプはダニエル・ビュレンヌによるもの
実は、このコンサートはパリにきて一番最初に聴いたコンサートなのですが、備忘録的に報告することにします。パリの北西にベルナール・チュミという建築家がコンペに勝ち取って作られた、ラ・ヴィレット公園があります。その公園は80年代のポストモダニズム建築後に現れてきた、脱構築主義の成果と言われるものです。昨年の美学特講でとりあげたので、授業に参加した学生さんには、あの赤いフォリーがある公園ということを思い出してくれるかもしれません。
赤いフォリーというのは、公園の敷地を120m間隔の格子を想定し、その格子の接点の場所に、ロシア構成主義的デザインの東屋を設置したのでした。公園の真ん中あたりに運河があり、それをはさみ北側には科学産業博物館、南側に元の屠殺場を改装した大きなホール、そして「のだめ」が通う国立音楽学校(コンセルバトワール)、そして今度ラルクがコンサートをするゼニットという名のホールと、音楽博物館とコンサートホールを併設する音楽都市があります。
その音楽都市のコンサートホールは、テーマを決めてコンサートシリーズが企画されるのですが、4月の後半は「最後の審判」というテーマで5回のコンサート、次に「黒ミサ」「悪魔と良き神」といった感じでシリーズが続きます。私は、その「最後の審判」シリーズ最初のコンサートを、4月18日に聴きました。
プログラム下記のとおりで、数年前の「熱狂の日」にも来日したことのあるアクサントゥス室内合唱団とフランス国立管のメンバーによる演奏でした。
Pascal Dusapin作曲 Umbrae mortis. Dona eis.
Gabriel Faure作曲 Requiem op.48 Version de 1893
Laurece Equibey 指揮
Amel Brahim-Djelloul (Soprano )
Laurent Naouri (Baryton )
指揮者は女性で、フランスの西本智美などと日本では宣伝されていて、こちらでも人気のある人です。その、きびきびした指揮ぶりは美しかったです。
前半のデュサパンはアカペラのUmbrae mortisから連続してDona eis.が演奏され、囁きが特徴の曲だった。この作曲家はフランス革命200周年の際に、オペラ「ロミオとジュリエット」を作曲したのですが、今その作品がパリのオペラ・コミークにかかっています。
後半の、フォーレのレクイエムは、良く演奏されるフルオーケストラ盤ではないもので、ヴァイオリンはソロ一人で、サンクトゥスの時にしか登場しません。フォーレはこの曲をごく親密な状況で演奏することを想定していたみたいなのですが、出版社はその風変わりな編成じゃ演奏の機会も少なくなるから、フルオーケストラ版での出版を望んだようです。なので、今我々が日常的に聞いているのは、フォーレそのものというよりは、弟子のデュカス(ディズニーのファンタジアに登場する魔法使いの弟子で知られています。)によるところが大きいのではなどと言われています。私は、この版を生演奏で聞くのは初めてだったので、とても興味深かったです。それに私の大好きなオペラ歌手ナタリー・デセイの夫君の美声も良く、とても心に演奏でした。そして、この曲は去年の3月3日の片桐先生の送別会で、皆さんに献花してもらうときのBGMとして選んだものでもあり、私としては思い入れの強い曲でもあるのでした。
ダラピッコラ「囚人」@パリオペラ座(ガルニエ)
カーテンコール
豪華な階段室
ソフィー・カル展のナタリー・デセィが歌っていたところ
第二帝政って感じのロビー
シャガールの天井画
久しぶりに、パリオペラ座(ガルニエ)で、オペラを見ました。バスティーユのオペラ座は、オペラの民主化といった意味合いがありますが、ガルニエの方は、まさに第二帝政時代のリッチで絢爛豪華な建築、そしてシャガールの天井画、本当にわくわくする箱です。
今日見たプログラムは、シェーンベルク:ナポレオン・ボナパルトへの頌歌 そして、引き続き ダラビッコラ:「囚人」というものです。指揮はローター・ツァグロセクです。私は、昨年2月の実践の春の旅行の時に、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場で、まさにこの指揮者が振ったシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」を見ました。そのときの演出は、デイビッド・パウントニーのエキセントリックなものでしたが、音楽がすばらしかったことを思い出しました。
さて、今日はオペラの「囚人」に先立って、シェーンベルクの作品から始まりました。幕が上がると、舞台右側に小アンサンブルと指揮者がいて、左側には小さな舞台とパリのオペラ座の幕を模したものがありました。いわば画中画のような、舞台の中の舞台という設定なのですが、その幕はあがらず、ドラアグクイーンに扮した語り部が登場します。この作品は、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」という作品の流れをくむもので、これは私が最初にパリでみたベルクのオペラ「ヴォツェック」にも影響を与えました。それは、歌と語りの中間を意識するシュプレヒゲザングSprechgesangという手法により、バイロンによって書かれた頌歌を語るのでした。(そのため、英語で語られる、またこの作品が作曲された1942年時シェーンベルクはアメリカに亡命していたのでした)
さて、ドラアグクイーンの語り部は、おもむろに黒いセクシーな衣装を脱ぐと、いかにもナチスによるユダヤ人収容所の囚人のようであり、胸には認識番号もつけられている。途中、顔に赤い絵の具を塗りたくり、しばらくしてそれを洗い流すなどの仕草をして、曲がおわる。演出家はスペインのルイス・パスクァルLluis Pasqualだが、ダラピッコラのオペラの先にこの作品を選んだセンスの良さを感じた。
シェーンベルクの作品が終わると、幕がおり、カーテンコールのあと、おもむろにダラピッコラの「囚人」が始まる。不勉強ながら、このダラピッコラについては、全く知りませんでした。そこで、ウィキペディアの英語版にのっているあらすじが頼りになりました。
このオペラは、スペイン王フェリペ二世による宗教弾圧を主題にしていますが、例によって20世紀つまりは第二次世界大戦時に置き換えられています。これは、ボナパルトへの頌歌がナチスへの批判を込めていたことと繋がるわけでしょうが、そういったとらえ方よりも、今チベットや東チモール、世界各地で起こっていることに対する、普遍的な問題として把握するべきかと思いました。オペラは、プロローグとして囚人の母親の息子を思う独唱から始まります。舞台装置は沖縄にあった「像の檻」のような円い牢獄で、その円周上に螺旋階段が複数あり、3階建てで、各階に扉があり、その扉の上にランプがあり、青と白の二色に点滅するようになっています。おそらく、青が檻の中を象徴し、白が檻の外を象徴するように思いました。プロローグの終わりには、円い牢獄の真ん中に逆さにつるされた人間がいて、それを拷問しているシーンと合唱が加わり、ヒステリックな母親の嘆きを断ちます。
次に第一幕が始まりますが、牢屋のなかで囚人は母親に、唯一話すことの出来る看守が希望を与えてくれていると語ります。すると看守は、母親との対話をやめさせフランドルの抵抗運動が成功したことを伝えます。このとき看守は、希望をあたえるために囚人に光を見させるのですが、この演出では、床の扉を開けて、それをスクリーンとし、そこにおそらくレジスタンスの白黒映像をピントを甘め、つまりは少しぼかし気味に映しました。そのあと囚人は、脱獄に成功するのですが、このとき牢獄のランプが点滅すると共に、客席最上部の客席(アンフィテアトル)に青い光がともり、そこにいる軍服を着た合唱隊の合唱が流れてきました。実は、私はこのアンフィテアトルのチケット(39ユーロ)を持っていたのですが、入場の際に平戸間(オルケストラ)の席(130ユーロ)に交換するよう言われました。当初は、客の入りが悪いからサービスかなと思っていたのですが、演出上の関係だったのでした。
このアンフィテアトルからの合唱は、まさに音がふってきて、劇場全体が揺れる感じでした。そして舞台の円い牢獄は回転すると共に、円の120度ぐらい開かれ、その真ん中の円い部分は白い光に照らされ、奈落から扉をあけて出てきた囚人は自由を謳歌します。しかし、この自由は見せかけにすぎず、異端裁判官と軍服を着た男たちが現れ「友よ」と語りながら男を捕らえます。そして、床から白いベッドが上昇し、そこに男を寝させ、ベルトで縛り、裁判官は注射器を持ち、囚人に注射して、男は自由?とささやきながら死んでいきます。ベッドは下降するとともに、幕となりました。(この最後の舞台装置は、規模は小さいながら、ミュンヘンの「モーゼとアロン」と似ていました。)
このオペラ、囚人の負担の大きいのですが、それをこなしたエフゲニー・ニキティンEvgeny Nikitinは、表現力があり歌に深みがありすばらしかった。他の歌手は、母親のロザリンド・プラウライトRosalind Plowright は迫力のある声量で圧倒された。他の歌手達は、私には音程の不安を感じることがあったけど、全体として良くできた舞台だったと思う。オケも良く鳴っていて、ツァグロセクの実力を実感した。
ヴラマンク展@リュクサンブール美術館とドラクロワ@サン・シュルピス教会
リュクサンブール美術館
「ヤコブと天使の闘い」
「神殿を追われるヘリオドロス」
「悪魔を倒す天使長聖ミカエル」
周歩廊にあるチャペルでは、ビデオアートで「主の公現=エピファニー」が表現されていた。
左から星、イエス、東方三博士
リュクサンブール美術館で開催中のフォービズムの画家ヴラマンクの展覧会を見ました。今年は、没後50周年を記念する展覧会のようでした。会場は、グランパレなどの大きな会場よりも小さめ、東京の文化村ぐらい広さで、油絵60点ほどと、陶芸作品、それと画家本人がコレクションしていたアフリカの彫刻で構成されていましたが、何かあっという間に終わってしまったかんじでした。(これで11ユーロは高いかな・・・)
作品は、1900年から15年までの作品で、表現主義風からフォービズム、さらにはセザンヌを意識しつた構成的な画面に変容していく様が判る展示なのですが、そういった教科書的な視線はここでは放棄して、ヴラマンクの白色の使い方と、作品そのものの平面性について意識しながら見ました。独特な白色の使い方は、セザンヌを意識したあとのキュービスム的傾向の強い作品ぐらいから見られ、そこにこの画家のオリジナリティを感じました。さらに、フォービズムの荒々しい厚塗りの筆致から、だんだんと薄塗りになり、曖昧でぼかしのような画風に変化していく様は興味深かったです。また、パステルカラー的な色調の空虚さや、全体として不安感を誘う画面に独自性を感じました。
ヴラマンクを見終わり、次にリュクサンブール美術館からすぐそばのところに、サン・シュルピス教会に行きました。ここには、入ってすぐ右のチャペル(聖天使礼拝堂)にドラクロワの壁画があることで知られています。向かって左側に、 「ヤコブと天使の闘い」、右側に「神殿を追われるヘリオドロス」天井には「悪魔を倒す天使長聖ミカエル」が描かれています。旧約聖書創世記からのシーンを描いたものですが、ドラクロワ最晩年の作品です。
これらの絵は、美術館に納められることなく、信仰の場として飾られ続けるのでしょうか?観光客の多くは(きわめて偏向したものの言い方をすれば、おばかなアメリカ人観光客達)は、ダ・ヴィンチコードの史跡巡りに熱中して、この場を通り過ぎて行きます。美々の皆さんは、そんな観光客にならないで、貴重な絵画を是非見逃さないでください。
2008/04/29
ミンコフスキー指揮MLG@シャトレ座
2008/04/28
セヴィリアの理髪師@パリオペラ座(バスティーユ)
イヴ・クラインのニケ
ニキ・ド・サンフィルの作品
モンマルトル墓地 その2
モンマルトル墓地 その1
モローの墓の上にはギリシャ風の壺
2008/04/27
2008/04/26
俳句YAKITORI
俳句ヤキトリ
テレビではWiiFitを紹介
借りたアパルトマンには、生活道具一式そろっているのだが包丁がなまくらで、料理人のプライドが傷つくというもの。そこで、パリの東急ハンズBHVに出かけ、包丁を物色。すると、西洋包丁に混じって日本の包丁も売っている。美濃の関で作られた包丁なのだが、少し高価なのでそのセカンドラインの包丁を購入する。その包丁の商品名は、なんと「俳句」句の切れ味と、包丁の切れ味をかけたものなのか?ちなみに私が買ったセカンドラインものは「俳句Yakitori」という商品名だ。さすが、パリには日本食レストランがたくさんあり、焼き鳥が一般化しているからか?とも思ったが、自宅に帰りネットで調べるとこの商品はアメリカのメーカーによるものだった。早速、試してみると自宅の包丁よりも切れ味が良い。先日買った、硬いキャベツも難なく切れる。値段もリーズナブルな感じだった。
前の日記にも書いたように、パリには日本のマンガやアニメ、テレビゲーム等は一般化しており、地下鉄の駅には「板です」=Wii Fitの巨大なポスターも貼られている。日本商品信仰みたいなものがあるのかもしれない。それらはこちらの資本で販売されているものは、日本の商品と値段は変わりないが、日本から輸入すると高価なものとなる。先日、ポンピドゥーセンターのブックショップで、日本のアピカノートを発見。定価120円の商品が、こちらでは3ユーロ80=600円で売っていて驚いた。誰がこのノートを使うのか?全く可愛らしくないのだが、紙の品質が良いからなのか?おおむね、こちらに日本から輸入した商品は、当然3~5倍の値段がつくのだが、そのなかで日本より安く販売されているものもある。それは、Kirin IchibanとAsahi Super Dry つまり、ビールだ。500mlの缶で1ユーロ20=190円だから、どれだけ酒税を払っているのかと思うことになる。(特にビール好きの武笠先生は社会に貢献する納税者に違いない)
チュイルリー公園の野外彫刻 その2
チュイルリー公園の野外彫刻 その1
2008/04/24
映画の記憶2
ラジオ・フランスは未来的な雰囲気
色々なCMにも登場するビル・アーケム橋
フロン・ド・セーヌ地区の話で、写真にかすかに写っている赤茶の建物は、旧ホテル・ニッコーであり、現在はフランス資本のアコーグループに売却され、ノボテルというホテルになっている。このホテルを見ると、ヴィム・ヴェンダース監督『アメリカの友人』が思い出される。ブルーノ・ガンツ演じる殺し屋が、このホテルに滞在し、パッシー駅から6番線のメトロに乗車する男を尾行する。男は、シャルル・ド・ゴール駅でRER(高速地下鉄)に乗り換え、デファンス駅で殺害されるというシーンがある。ちなみに、そこで殺される男を演じているのは、スイス人映画監督で、オペラ演出でも知られるダニエル・シュミットであった。まだ、デファンスに新凱旋門が出来るずっと前の話であり、RERの駅の監視カメラに一部始終監視されながら殺害が実行される様は、現代社会への痛烈な批判にも思えるものだった。
そのニッコーホテルの向かい側に立つのは、ラジオ・フランスの丸いビルであり、ここはゴダールの「アルファヴィル」が当然思い出されることになる。そして、その両岸の間に流れるセーヌ川には、真ん中には人工の島があり、散歩が気持ちよい「白鳥の遊歩道」となっている。そして、その先端には自由の女神像が立っている。
この「白鳥の遊歩道」を、グルネル橋からビル・アーケム橋に向かうと、そこはベルトリッチの『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の記憶が強烈に思い出されるが、ここではルイ・マルの『地下鉄のザジ』の映像を示すことにしておこう。この映像のなかには、ヴァルター・ベンヤミンの考察の対象となったパッサージュも出てくる。
人工地盤(DALLE)の現在
奥の赤茶の建物は旧ホテル・ニッコー
2008/04/23
映画の記憶
新しいシネマティーク
ダンフェール座
ソフィー・カル展@BNF
ヴェネチア・ビエンナーレ会場
ナタリー・デセイの解釈 不自然な動きですが、声はすばらしいです。
2008/04/20
ヴォツェック@パリオペラ座(バスティーユ)
夜のバスティーユ広場 フランス革命の場所
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