カーテンコール
豪華な階段室
ソフィー・カル展のナタリー・デセィが歌っていたところ
第二帝政って感じのロビー
シャガールの天井画
久しぶりに、パリオペラ座(ガルニエ)で、オペラを見ました。バスティーユのオペラ座は、オペラの民主化といった意味合いがありますが、ガルニエの方は、まさに第二帝政時代のリッチで絢爛豪華な建築、そしてシャガールの天井画、本当にわくわくする箱です。
今日見たプログラムは、シェーンベルク:ナポレオン・ボナパルトへの頌歌 そして、引き続き ダラビッコラ:「囚人」というものです。指揮はローター・ツァグロセクです。私は、昨年2月の実践の春の旅行の時に、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場で、まさにこの指揮者が振ったシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」を見ました。そのときの演出は、デイビッド・パウントニーのエキセントリックなものでしたが、音楽がすばらしかったことを思い出しました。
さて、今日はオペラの「囚人」に先立って、シェーンベルクの作品から始まりました。幕が上がると、舞台右側に小アンサンブルと指揮者がいて、左側には小さな舞台とパリのオペラ座の幕を模したものがありました。いわば画中画のような、舞台の中の舞台という設定なのですが、その幕はあがらず、ドラアグクイーンに扮した語り部が登場します。この作品は、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」という作品の流れをくむもので、これは私が最初にパリでみたベルクのオペラ「ヴォツェック」にも影響を与えました。それは、歌と語りの中間を意識するシュプレヒゲザングSprechgesangという手法により、バイロンによって書かれた頌歌を語るのでした。(そのため、英語で語られる、またこの作品が作曲された1942年時シェーンベルクはアメリカに亡命していたのでした)
さて、ドラアグクイーンの語り部は、おもむろに黒いセクシーな衣装を脱ぐと、いかにもナチスによるユダヤ人収容所の囚人のようであり、胸には認識番号もつけられている。途中、顔に赤い絵の具を塗りたくり、しばらくしてそれを洗い流すなどの仕草をして、曲がおわる。演出家はスペインのルイス・パスクァルLluis Pasqualだが、ダラピッコラのオペラの先にこの作品を選んだセンスの良さを感じた。
シェーンベルクの作品が終わると、幕がおり、カーテンコールのあと、おもむろにダラピッコラの「囚人」が始まる。不勉強ながら、このダラピッコラについては、全く知りませんでした。そこで、ウィキペディアの英語版にのっているあらすじが頼りになりました。
このオペラは、スペイン王フェリペ二世による宗教弾圧を主題にしていますが、例によって20世紀つまりは第二次世界大戦時に置き換えられています。これは、ボナパルトへの頌歌がナチスへの批判を込めていたことと繋がるわけでしょうが、そういったとらえ方よりも、今チベットや東チモール、世界各地で起こっていることに対する、普遍的な問題として把握するべきかと思いました。オペラは、プロローグとして囚人の母親の息子を思う独唱から始まります。舞台装置は沖縄にあった「像の檻」のような円い牢獄で、その円周上に螺旋階段が複数あり、3階建てで、各階に扉があり、その扉の上にランプがあり、青と白の二色に点滅するようになっています。おそらく、青が檻の中を象徴し、白が檻の外を象徴するように思いました。プロローグの終わりには、円い牢獄の真ん中に逆さにつるされた人間がいて、それを拷問しているシーンと合唱が加わり、ヒステリックな母親の嘆きを断ちます。
次に第一幕が始まりますが、牢屋のなかで囚人は母親に、唯一話すことの出来る看守が希望を与えてくれていると語ります。すると看守は、母親との対話をやめさせフランドルの抵抗運動が成功したことを伝えます。このとき看守は、希望をあたえるために囚人に光を見させるのですが、この演出では、床の扉を開けて、それをスクリーンとし、そこにおそらくレジスタンスの白黒映像をピントを甘め、つまりは少しぼかし気味に映しました。そのあと囚人は、脱獄に成功するのですが、このとき牢獄のランプが点滅すると共に、客席最上部の客席(アンフィテアトル)に青い光がともり、そこにいる軍服を着た合唱隊の合唱が流れてきました。実は、私はこのアンフィテアトルのチケット(39ユーロ)を持っていたのですが、入場の際に平戸間(オルケストラ)の席(130ユーロ)に交換するよう言われました。当初は、客の入りが悪いからサービスかなと思っていたのですが、演出上の関係だったのでした。
このアンフィテアトルからの合唱は、まさに音がふってきて、劇場全体が揺れる感じでした。そして舞台の円い牢獄は回転すると共に、円の120度ぐらい開かれ、その真ん中の円い部分は白い光に照らされ、奈落から扉をあけて出てきた囚人は自由を謳歌します。しかし、この自由は見せかけにすぎず、異端裁判官と軍服を着た男たちが現れ「友よ」と語りながら男を捕らえます。そして、床から白いベッドが上昇し、そこに男を寝させ、ベルトで縛り、裁判官は注射器を持ち、囚人に注射して、男は自由?とささやきながら死んでいきます。ベッドは下降するとともに、幕となりました。(この最後の舞台装置は、規模は小さいながら、ミュンヘンの「モーゼとアロン」と似ていました。)
このオペラ、囚人の負担の大きいのですが、それをこなしたエフゲニー・ニキティンEvgeny Nikitinは、表現力があり歌に深みがありすばらしかった。他の歌手は、母親のロザリンド・プラウライトRosalind Plowright は迫力のある声量で圧倒された。他の歌手達は、私には音程の不安を感じることがあったけど、全体として良くできた舞台だったと思う。オケも良く鳴っていて、ツァグロセクの実力を実感した。
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