2008/04/17

二つの現代美術館



 第二次世界大戦を境に、美術の本流はアメリカに移ったと言われることがあります。20世紀美術の歴史を考えれば、アメリカの抽象表現主義、そしてそれに続くポップアートやミニマル・アートは確かにメインストリームでありました。その傾向は、今でも続いているのでしょうか?パリは過去の芸術の集積場なのでしょうか?そんな思いは、ポンピドゥーセンターの展示や、地域に設置されたFRAC(地域圏における現代美術のための基金)の活動を見れば、払拭されることになります。今でもパリは現代美術の先端にあるのでしょう。それは、ポンピドゥーセンター以外の施設の活発な活動を見ればあきらかです。 今日紹介するのは、最近バスティーユ広場近くの運河前に出来た「メゾンルージュ」「カルティエ財団美術館」です。メゾンルージュは、グレゴール・シュナイダーピラール・アルバラシン、そしてマリー・マイヤールの三人のアーティストの展示でした。シュナイダーは2001年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞したことのあるアーティストですが、一貫したテーマは「家」、今回は一人ずつ白い部屋や冷たい部屋、真っ暗な部屋をまわり、そこで孤独や恐れを感じつつ、自己に向き合おうとするものなの。また展示室はあるけど、作品は空っぽの室内という点で、いわゆるホワイトキューブの美術館の制度にも何かもの申すような感じだった。次にアルバラシンの作品は、フラメンコダンサーが針を身体に刺し、白いドレスを血まみれにするものとか、赤いドレスを小野洋子の「カット・ピース」のように切り、それを卵につけてスペイン風オムレツを作るもの、さらには羊の皮で出来たワイン袋をもってひたすらワインまみれ(血まみれのような)になって、おどるというもの。彼女は、セビリア出身でアンダルシア地方やスペイン特有さを前面に押し出しているのだが、その背後にはフランコ政権の抑圧の歴史を秘めているようだ。最後にマイヤールの作品は、中庭に煉瓦の壁を作るインスタレーションで、ミニマルな表現は、他の二つより控えめな印象をあたえていた。とはいえ、展示があっという間に終わってしまい、これで6ユーロ支払うのは高いと感じた。 次に、ジャン・ヌーヴェル設計で知られる「カルティエ財団美術館」では、ニューヨーク・パンクの女王として知られるパティ・スミスアンドレア・ブランジの二人展が開かれていた。この美術館は、もともとアメリカ文化センターの跡地にあった木をなるべく切らないように作られ、全面ガラスの透明性の高い建築で知られている。展示室は、その透明性の高い、一階にブランジによるOpen Enclosure開かれた囲い込みという作品で、繊細なガラスにより、空間を構成しようとするもの。作家の意識の中にはエコロジーの問題が絶えず存在するようだ。一方スミスの作品は、透明性のない地下の展示室で、薄暗いなかに多数のビデオプロジェクションと、ポラロイド写真による展示が行われていた。もともとスミスは、ランボーに影響をうけており、今回の展示でも、ランボーへの思いが十二分に伝わってくるものだった。彼女は、ランボーの墓にたどり着き、策を乗り越え墓に抱きつくことになる。スミスは、写真家ロバート・メープルソープとの交流でも知られており、彼が撮影した映像も展示されることになる。実のところ、スミスに関しては、なんら興味を持っていないので、いわゆる感動はしないのだが、ただ良くも自分の美意識をこれほどまでに、好き勝手作品化する力に脱帽した。 二つの現代美術施設を訪れて感じたことは、作品そのものに対する評価は別として、現代美術の活況さである。このほかにも、ジュドポームやプラトー等の施設も充実しており、そのうち報告することにします。

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