2008/04/23

映画の記憶

旧シネマティークの入り口
新しいシネマティーク
ダンフェール座
ソフィー・カルの展示の際に、フランソワ・トリュフォー監督『夜霧の恋人達』(原題はシャルル・トレネのシャンソン「過ぎ去りし恋にはQue reste-t-il de nos amours?」の中に出てくる、Baisers volés 盗まれた口づけ)に出てくる、空気の圧力で手紙を送信する装置Pnematiquesの話をしましたが、Youtubeにも、その映像がアップされています。それを見ると、主人公のドワネルはサクレクール寺院真下の、アパートの屋根裏部屋に住んでいる設定です。実は、私が今住んでいるところのご近所さんでした。おそらく、彼がPnematiquesを利用して、速達郵便を出す場所は、アベス駅前の郵便局なのでしょう。映画では、地下のパリが映し出され、ゴッホ兄弟も住んでいたルピック通りからクリッシー広場、サンラザール通りetcとパリの地下を手紙は移動していきます。

この映画は1968年の作品なのですが、今年はそれから40年経ちました。パリでは、その68年5月に関する書籍の出版やイベントが目白押しです。というもの大学における自治や民主化運動に端を発する反体制運動=五月革命の40周年だからです。この革命において、映画界も大きなうねりの中にあり、シネマティーク・フランセーズ(日本のフィルムセンターにあたります)も、ストによる閉館が続きまし、た。そして、その閉まった入り口のショットから、トリュフォーは『夜霧の恋人達』を始めたのでした。

シネマティーク・フランセーズはエッフェル塔が良く見ることの出来る、シャイヨー宮殿の一角にありました。シャイヨー宮殿は、真ん中の広場をはさみ、西側に海洋博物館と文化人類学者レヴィ・ストロースが深く関わる人類博物館、東側に歴史的モニュメント博物館と映画博物館がありました。私が初めてパリを訪問した1985年当時も、このシャイヨー宮殿の一角にシネマティークはあり、何故か伊丹十三初監督作品『お葬式』を見たのでした。それは、さておきその懐かしい入り口は、現在は長かった改修が終わった歴史的モニュメント博物館が発展した建築と文化遺産都市のオーディトリウムになったようです。久しぶりに、その入り口をみるとトレネの甘い歌声の記憶がよみがえりました。

現在シネマティーク・フランセーズは、元のワインの集積場を再開発したベルシー地区の旧アメリカン・センターに、映画博物館とも移り、毎日5~6本もの古今東西、古いものから新しいものまで、様々な映画を上映しつづけています。そうなのです、パリは世界有数の映画都市なのです。とはいえ、フランス版ぴあ=パリスコープなどを見ていて、昔のような面白みが少なくなったように思えます。こちらでも名画座が減っているように感じました。そのなか、カルティエ現代美術館のすぐ近くのダンフェール座が健在だったことがうれしく思いました。この映画館で、ゴダールの『軽蔑』を初めて見たときの感動の記憶が、よみがえってくるのでした。

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