2008/06/16

ドミニク・ペロー展@ポンピドゥーセンター






 フランスの国立図書館の設計で知られる、ドミニク・ペローの展覧会がポンピドゥーセンターで始まった。展示はespace 315で開かれており、入場すると最初に出世作でもある国立図書館のマケットが置かれている。それを展示番号1として、その他3×3mぐらいの正方形の展示コーナーが、18用意され、それとは別にビデオプロジェクションのスペースが設けられていた。ビデオのコーナーは、ペローが良く用いるメタルの織物で仕切られている。

 実は、我が家にはペローが国立図書館のためにデザインした椅子がある。というのも、1998~9年に、今はなき?六本木のTN Probeという大林組のメセナで成立してたギャラリーで、「ドミニク・ペロー ― 都市という自然」展が開かれ、その際に購入したのだった。そのときは、国立図書館の他、ベルリンのヴェロドロームぐらいしか実際に作られていなかった頃で、まだ若手といった感じだったが、それから10年たって、今ではフランスを代表する建築家の一人となっている。手がけている仕事も、十日市の能舞台や、大阪の富国生命ビルの建て直しといった日本での仕事も含め国際的になっている。

 前に、私はペローとレンゾ・ピアノのスケッチの比較を、どこかのメーリング・リストに投稿した記憶があるのだが、そのときはピアノの線の美しさを称えたと思う。久しぶりに、ペローのラフスケッチを見ると、この人のスケッチは絵でなく、概念的な記号でしかないように思えてならなかった。私にとって、そこがペローのつまらなさであるのだが、色々な仕事をみてみると、盛んに空間を覆う(ラッピング)するという試みも、その延長線上にあるのではないかと思った。

 つまり、ラッピングするということは、外部と内部の境界線あるいは境界面をつくることであり、そこの線や面に対して、素材や質感に対するフェティッシュな追究がなされるにせよ、それは建築にとっては二次的なことであるように思えるからだ。というか、ペローの面白さは、この境界面の質感にのみあるのではと思えてくる。例えば、国立図書館の閲覧室に降りていくエスカレーターにのると、メタルの織物の皮膜に包まれるような感じは面白いが、それ以外は空虚な空間のような気がする。光が充溢しているなんて感じでもない。また、中庭の森も、ガラス面に映し出されるスクリーン=絵画としての森にすぎず美しいかもしれないが、理念的すぎることが鼻につく。

 ところで、ビデオコーナーに、ペローがマルセイユで共同制作したバレエの映像が流れていて、興味をもった。それは「輝く都市」という作品なのだが、無論ル・コルビュジエのユニテ・ダヴィタシオンが、その源泉となっている。そこには、モデュロールの人間像がメタルのついたてに投影されつつ、コンテンポラリーダンスが成立していて興味深かった。

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