2008/06/04

ドランシーへ そしてアントニー、ボンディへ




国立移民の歴史都市における、植民地博覧会の展示の中に、30年代以降の人口増加に伴い、パリ市内から郊外の土地付き住宅を推奨するポスターがあった。この時期、いわゆる「郊外」が形成されつつあったのだ。昨年の美学特講で取り上げた堀江敏幸『郊外へ』所収「ロワシー・エクスプレス」では、ドランシーの悲劇が取り上げられているが、ここにあるポスターには、そういった悲劇のにおいは全く感じることができず、ユートピアが高らかに宣言されているようでもある。ドランシーの近代的な集合住宅Cité de la Muette がユダヤ人強制収容所になったのは、1939年のことという。しかし、そういった負の歴史は忘却され、第二次世界大戦後、むしろアルジェリア戦争後の状況の方が、これらの街の現在を形成する大きな要因となる。

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