2008/09/30

カンパーニュ・プルミエール街続き


イストリアホテルの銘板

佐伯祐三の扉 80年前の作品だが、扉自体は全く変わっていない。


ジーン・セバーグが密告した11番地の現状
カンパーニュ・プルミエール街と日本人芸術家との関係では、フジタ以外にも、高村光太郎もこの通りで制作する。そして、27番地の扉を、佐伯祐三が描くことになる。この絵はインパクトがあるので、若い頃から気になっている絵だったのだが、リュクサンブール公園ら絵と共に、最近田辺市立美術館の所蔵となったらしい。これは、同市出身の脇村義太郎氏のコレクションを引き継いだ、脇村友雄氏が寄贈したもののようだ。
ところで、ネット検索すると、この通りに関係して、林洋子氏による「1913年パリ:澤部清五郎と川島理一郎、 そして藤田嗣治」というテキストに、行き着いた。このテキストによると、澤部清五郎が9番地のアトリエ23に住んでいたということになる。ただ、昨日の訪問だけでは、どこが23番アトリエかは判明できない。

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