2008/09/05

雑誌のチェック 東ゆみこ「壊れた世界と秘匿された”自然”」@思想9月号

今日は、久しぶりにビルアーケムの日本文化会館の図書室に行き、7~9月号の雑誌をチェックする。
ユリイカと芸術新潮はフェルメール特集。いかにも便乗商法的で内容がない。その象徴が浅田と森村の対談、本当にどうでもいいと思う。美術手帖は8月号が岡崎の美術教室、9月号がジブリ特集。ジブリ特集は売れるだろうと思う。8月号は自分の勤める学校の宣伝のようでもあり、昔あった現代美術の教科書的なもの、7月号の日本の現代美術よりは読めるか そのほか音楽の友のバックナンバーをみていると、オペラ特集号があったことに気づくが、チェックする必要はなかった。どうしてこんな雑誌が成立しているのか疑問に思う。誰が買うんだ?
それで、読んで一番へたれな記事は、「東京人」にのっていた昭和40年会が屋形船にのって思い出を語るというもの、本当にへたれ記事で、良くまあこんなものをカラー写真で掲載していると、逆に感心する。だから駄目なんだと思うけど、この駄目さが逆に良いのかもとも思った。
美術手帖で気になった記事は、坂上しのぶによる「君はパレルゴンを知っているか?」のシンポジウム報告、それで僕の答えは「よく知ってます」この80年代の回顧は、90年代以降のアンチテーゼとなるのだろうが、ただ懐かしいだけだが、その90年代以降のアーティスト太郎知恵蔵を紹介する倉林の記事を読むと、パレルゴンの時代の方が良かったと思うことになる。
今日は収穫がないなあと思っていたが、思想9月号の東ゆみこ「壊れた世界と秘匿された”自然”」はとても面白かった。この人よく知らないのだが、帰ってから調べると神話学の人でウェブサイトもある http://mythology.tea-nifty.com/
それで、この論文は、最初に石坂洋次郎の小説の引用=小便で娘の目を洗う母親の話から始まる。そこから、昭和29年9月号の雑誌「平凡」のグラビア=若き高島忠夫と筑紫あけみが、上半身裸!の海女と一緒に映っているものに注目し、さらにはその平凡に投稿した近江絹糸の女工の話へと展開する。当時近江絹糸では労働争議があり、そこに着想を得た三島由紀夫の「絹と明察」の分析へとつながり、絹を紡ぐ女性の神話的源泉を提示した上で、農村型社会から都市型社会へと変化した状況を分析するというもの。詳しくはここでかけないが 「”自然”の一瞬の燦めきこそ、敗戦後の日本における「かのように」の秩序の解体期に現れた始原的思考だったのである。」 「新しい事態は「農村型社会」のシンボルではとらえられない「都市型社会」特有の何かになる可能性があるが、それは一体なにであろうか。そしていつの日か、都市の中でエロティシズムの横溢をとらえた時、私たちは人間の隣人が”自然”であることを再認識するに違いない。」は説得力があるように思えた。

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