2008/07/21

ドランシーのシテ・ド・ラ・ミュエット





国立移民の歴史都市の日記でも話題にしたドランシー、ロワシー空港からパリに向かうRERのB線上の都市だ。行かねばならないと思いながら、治安がよろしくないという噂から、まだ足を運んでいない。

昨年の美学特講でとりあげた堀江敏幸の「ロワシー・エクスプレスの乗客」で語られる、30年代の新都市=シテ・ド・ラ・ミュエットがそこにあるのだ。そこは、モダニズムの理想都市から、ユダヤ人の強制収容所、戦後には戦争協力者=コラボの収容所になるという負の歴史を背負った場所だ。ポンピドゥーセンターの国立近現代美術館の常設展示の建築書を扱うコーナーにその理想に輝いてた頃の写真が展示されてあった。その横には、パリのペリフェリーを走るトラムに乗れば必然的に目に入ってくる、この時代の集合住宅HBMの写真が飾られてある。さらには、白い時代を経て、迷走するル・コルビュジェによるアルジェの都市計画の写真も展示されてあった。それらは、30年代を特徴づけるものなの、植民地主義、共産主義、ファッシズム等々が錯綜しながら、時代の表現に影響を与えることになる。

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