2008/07/03

リナルド@チューリヒ歌劇場






左にフライングの少女が

飛行機に乗り遅れたことで強烈な印象を与えたのかもしれない、しかも「オペラ放浪記」の原田さんの話をしたことも良かったのかもしれない。カルメンで、カウフマンはいいけど、カサロヴァのカルメンのキャラクターは納得いかないみたいな会話をしたら、同意して意気投合したのが良かったのかもしれない。とにかく、鍵番のカルメラさんと仲良くなってしまったのだ。まだチューリヒ三日目というのに、リナルドは空いているから、端のボックス席にも入れてくれた。結局そこを独り占めしながら、この席ならば、舞台も近いが、何よりもクリスティーの指揮ぶりをじっくり見ることが出来る。オペラの神様は、飛行機の乗り遅れとミンコフスキーのキャンセルという試練を与えたが、ここに来て私を見放した訳ではなかった。とにかくクリスティーのリナルドはすばらしく、久しぶりにオペラを見て、生きている喜びみたいなものを感じた。それに、原田さん同様、僕も当日のポスターをもらうことができた。これは、原田さん、あるいは沖縄のおじさん?という、先達がいたからかもしれない。
さて、そのヘンデルの「リナルド」 CDでいやと言うほど聞いているが、実は舞台を見るのは初めて、今回の演出はJens-Daniel Herzognによるもので、いわゆる読み替えものだった。配役は以下の通りRinaldo / Juliette GalstianArmida / Malin HarteliusGotfredo / Liliana NikiteanuAlmirena / Ann Helen MoenEustazio / Katharina PeetzArgante / Ruben Drole etc指揮はレザール・フロリサンのウィリアム・クリスティー オケは Orchestra der Oper Zurich当然ピリオド奏法による演奏で、ヘンデルを堪能することが出来た。舞台装置は昨日のカルメンより金がかかっている感じだった。この劇場のセヴィリアの理髪師のように、くるくると舞台が回る装置だった。第一幕 序曲のあと、スーツケースを持ったサラリーマンが登場する。どうやら、舞台を現代に移し、経済的な戦いに置き換えているようだ。なので、男性登場人物(ズボン役も当然含んで)は、全てネクタイをしたサラリーマン風、一人エウスターツィオだけ異質で、最初のアリアでは手術用手袋をして、犬に注射をうち手術をし、内臓をとりだす。なんじゃそれといった感じの演出。その後、アルガンテが力強い声で登場、アラブ系を象徴するかのような帽子をかぶり、キリスト教徒と対比させるのだろう、オケの祝祭的な響きがすばらしい。ゴットフレードとの休戦の締結は、ビジネス社会の社交辞令的な演出後、アルガンテは先ほどの威勢の良さは失われる。すると、二階にいたサラリーマンのうちの一人が、服を脱ぎはじめ、赤いキャミソール姿となると、それがアルミーダだった。書類ケースからリナルドの写真ファイルを渡し、策略をねる。このときアルミーダはアルガンテの股間を足で押さえつけるなど、お下劣な演出が続く。アルミーレが登場し、リナルドといちゃついていると、ウェイトレス姿のアルミーダがお盆にガラスのコップを持って登場し、それを投げ捨て、ガラスが割れると、アルミレーナは略奪されることになる。リナルドはアルミレーナを思い嘆くが、舞台は回転し、日本のエスカレーターがあるオフィスになり、なかなか見応えのある装置だった。またスローモーションを活用しと上手い照明で、エンターティメント的にも面白い演出だった。舞台装置では、空港の待合室のようなところのビルボードが、はじめは夕陽のエーゲ海のような写真から、飛行機が空を飛んでいる写真、パラボラアンテナのある海岸、そして夕陽の海の写真と変化する。そのビルボードの一部は後方に後退し、そこに人が登場することが出来るようになっていて、第二幕の二人のシレーヌ、第三幕にゴットフレードとエウスターツィオがリナルドを助ける場面もここに登場する。恋人を奪われたリナルドは気絶し、エウスターツィオのアリアでは、先ほど同様、手術用手袋をして、クールボックスから緑の蛇をとりだし、その生き血をグラスに注ぐ、それをリナルドに注射すると、リナルドは正気に戻る・・・笑・・・休憩第二幕、リュックサックを背負い、ハイキング姿でエウスターツィオ、ゴットフレード、リナルドが登場、そこにピンクのインド風の衣装を着た女が現れ、リナルドを誘惑する。二人のシレーヌはビルボードのところで、ボリウッド映画のような踊りを踊っている。結局、リナルドは誘惑に負け、連れて行かれると、舞台は回転し、足と手に手錠をかけられたアルミレーナが登場し、それをアルガンテが見つめる。アルミレーナは手錠の鍵を奪うため、スカートの裾をめくったりしてアルガンテに色気で懐柔しようとする。そこで、有名な「涙をながせてください」が歌われる。この曲は名曲中の名曲ということなのだが、歌手とオケのピアニッシモが美しく、それを指揮するクリスティーの感情豊かな顔を見ていると、切々と心情が伝わってきた。曲が終わると、一人フライング気味の拍手があった、それは小さい女の子のフライングだったのだが、なんとオケピの中にも座席があり(オケピと座席の間には通常仕切りがあるのだけど、その仕切りの内側に座席があった。)クリスティーのすぐ右後ろ1mぐらいのところに座っている。(彼女は、その後もフライングして、クリスティーとコンマスさんにたしなめられてしまうのだけど、そのたしなめ方が愛情あふれていて、微笑ましかった)つぎに、リナルドをアルミーダが誘惑するシーンでは、黙役でアルミレーナが登場し、アルミーダの変身の演出は上手く行っていた。アルミレーナは白い服、アルミーダは赤い服でコントラストを出していたので、見ていてわかりやすかった。だから、赤い服を着たアルミーダが、アルミレーナが舞台に残した白い服を羽織り、それをアルミレーナと勘違いしたアルガンテが登場し、口説き、喧嘩が始まるのだが、そのときの荒れ狂い方はコメディタッチだった。そのとき、赤いキャミソール姿の6名の女性が登場し、アルガンテを押さえつけ股間をけりつけ、アルガンテは本当に情けなく表現される。このアルミーダのアリアは、チェンバロの演奏がドライブ感があって、その荒れ狂う様を見事に表現していた。第三幕 空港の待合室に到着したゴットフレードとエウスターツィオ、そこにいた清掃人が魔法使いという設定、二人は清掃人から、なにやら怪しげな飲み物を渡され、それを飲み干すと、勇気百倍でリナルド救出に向かう。舞台は回転し、メッカをめざし跪きながら両手をあげてアラーの神を称えるイスラム教徒らが登場し、一応現代の社会状況とリンクさせようとしているが、それはステレオタイプな設定にすぎず、そこに深い社会性を込めているようではなかいった。これはエンターティメントなんで、逆にそれでいいのか?とも思えた。結局、ゴットフレードとエウスターツィオはマシンガンをもって、リナルドとアルミレーナを解放する。アルミーダとアルガンテの激しい喧嘩のあと、喧嘩両成敗的に倒れこみ、キリスト教徒らへの復讐を誓うのだが、なんともコメディタッチに描かれていた。そして、最後の決戦は、オフィスが現れ、そこにスーツ姿のリナルド率いるビジネスマン戦士があらわれ、それにアルガンテが調印の場に登場する。しかし、調印を拒むと、戦争の場面となる。二つの陣営の戦いはスローモーションで表現され、結局リナルド側が勝利し、そこにゴットフレードがリナルドを讃えに来ると、実はゴットフレードに変装したアルミーダで手にはナイフをもっている。それに気づいた社員達がゴットフレード=アルミーダを取り押さえると、縄で縛られた本物のゴットフレードも登場し、解放されることになる。最後のキリスト教徒への改宗の場面は、赤い服を着ていたアルミーダを、アルミレーナ同様白い服を着たレディに変身させることで、めでたしめでたしとなるはずなのだが、それぞれの登場人物がちょっかいをだしあい、白い服を着たアルミレーナとアルミーダはとっくみあいの喧嘩を始める。それをリナルドが間にはいって止めようとして、幕となった。
最後の白い服同士の争いは、なにか「女はみんなこんなもの」的な感じなのか、それとも現代の社会状況にリンクさせ、争いの普遍性を言いたかったのか?私には前者の方にしか読み取れなかった。すると、あのステレオタイプなイスラムvsキリストの対比は、単なるパロディとしての意味しかないように思えた。それを永世中立国のスイスで、資本主義的に消費しているのだが、だからといって批判的になることもないだろう。クリスティーが導きだした音楽は、そんな構造自体問題にならないほど、人間の本性に訴えていたからだ。

0 件のコメント: