2008/11/28

クルト・マズア指揮フランス国立管@シャトレ座






クラシックを聴き始めた中学校の時 4chステレオ録音のクルト・マズア指揮ライプチッヒ、ゲンバントハウス交響楽団によるベートーヴェンの交響曲全集が話題を集めていた。しかし、その後東西分裂が解消され、西側に活動の場を移し、ニューヨークフィルなどのポストにつきながらも、彼の評価は今ひとつで、地味な感じがする。そんなマズアが指揮するコンサートに出かけた。コンサート会場は、シャトレ座春のミンコフスキーのコンサート以来、この劇場が嫌いなわけではないが、しばらく足が遠のいていた。
今日のプログラムは、リストの死の舞踏 ピアノ独奏はルイス・ロルティ 後半は、ブルックナーの3番 実は25日にオルセー美術館でブルックナーは無料コンサートを開いたばかり このプログラムでシャトレ座が埋まる分けがなく、上の席はガラガラの状態だった。
ガッティにバトンを渡したマズアですが、まだガッティとこのオケの相性が今ひとつなのに対し、マズアは得意のブルックナーを、オケとの信頼関係に基づき、思う存分演奏しているようだった。久しぶりに骨太のブルックナーを聞いて満足した。とはいえ、この劇場は地下鉄のノイズが響くのだが、これどうにかならないか?所謂ブルックナー開始は、ごぉーーっという地下鉄の音と混じることになりました。

グラン・パレの展覧会 ピカソとノルデ

今年の秋の展覧会の一番の目玉「ピカソと巨匠」展 そして「エミール・ノルデ」展を見ました。
特にピカソ展は、いつも近くを通るたびに入場待ちの行列にたじろいでいました。そこで、一念発起し、Sesameという会員券を購入して、優先的に入ることにしました。この会員券はグランパレの展覧会無制限に入れるというもので、1年45ユーロです。一年に4回展覧会が開かれるので、それらを全部見れば元は取れるし、入場待ちの行列に並ぶ必要がないことが一番の特典でしょう。私は、もう少し奮発してDUOという二人で入場出来る券=70ユーロを購入しました。クリスマスに家族が来ることもあるし、こちらの友人たちと一緒に入ることが可能だからです。
さて、展覧会ですが、これはグランパレの力を誇示するような展示でした。つまり、この展覧会ピカソと、それに関連する巨匠の作品を並べて展示するというもので、世界中の美術館から名品を借りてきて展示していました。無論、パリのルーブル、ポンピドゥー、オルセー、そして本家ピカソ美術館の作品もごっそりここで展示されていて、豪華絢爛といった感じなのです。さすがに、プラドの「ラスメニナス」はもって来れませんでしたが、ゴヤの「裸のマハ」とかティツィアーノの「「アモールと音楽にくつろぐヴィーナス」(これは数年前に日本にも来ました)とか並ぶと圧巻です。さらに、スルバラン、ムリーリョ、ベラスケス、グレコといったスペイン絵画がこれでもかと並んでいるのです。ここまで書いてきて ピカソのことはどこに行ったの?と思われるかもしれませんね・・笑・・ピカソはピカソ以上の以下でもないので、それは圧倒的な存在感をもっています。しかし、私はピカソより比較される巨匠たちの方に目が奪われたのでした。

2008/11/26

バスティーユの魔笛


チケットが完売状態の魔笛をバスティーユで見る。実にくだらない演出、あるいは金の使い方が間違っている演出、演出家がやりたいことやっただけの演出 とにかく酷かったです。それでも、盛大な拍手 
みんな不満がないのだろうか?

ジョルジュ・プレートル指揮 オペラ座管 


まさか今年のニューイヤーコンサートをまさか指揮するとは思わなかった御年84歳のジョルジュ・プレートル 24年8月生まれ、25年3月生まれのブーレーズより年長 これが見納めかもしれないと思っている地元ファンが多いのか オペラ座管のコンサートシリーズにしては客が入っている。

2月の小澤先生のブルックナー2番なんてプログラムとちがって、ブラームス3番とラベル編曲の展覧会の絵 オーケストラサウンドを楽しみたいひとも来るだろうし、大衆向けな感じもする プレートルといえば 第一に思い出すのがマリア・カラスとのトスカなんだけど、そう思うと随分長く活躍しているんだ・・・ ブラームス3番 なんともゆったりとしたロマンティックな演奏だった そして、展覧会の絵 バスティーユの巨大な空間を音の洪水で埋め尽くして してやったりといった感じだった。



若き日のプレートルとカラス 私のお父さん

2008/11/25

アンナ・ボレーナ@シャンゼリゼ劇場




大野和士さんが音楽監督になったリヨン歌劇場で上演されたドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」のコンサート形式上演があり、シャンゼリゼ劇場に出かけた。今月は6回、先月も5回通っているこの劇場だが、そのなかで一番の入りだった。いわゆるイタリアオペラのベルカントものの公演が少ないからなのか、観客は待ってましたとばかり、熱狂的にブラボーやブーイングが飛び交っていた。
今回の上演は、ベルカントのスペシャリスのエヴェリーノ・ピド指揮によるもので、音楽はしっかりとイタリアしていた。男性歌手人、そしてズボン役のメゾも良かったのだが、この曲はやっぱり、アンナとジョヴァンナと、国王を巡る二人の女性の輝かしい歌に酔いしれたい。アンナはアルバニア生まれのエルモネラ・ヤホ、そしてジョヴァンナはイタリア生まれのソニア・ガナッシ。ヤホは美形のソプラノということなのだが、なかなか気の荒そうな感じでした。ジョヴァンナがアンナに国王との不倫について告白するところの、怒りの表情など鬼気迫るものでした。そして、その表情に対応するように、声量があってドラマチックな歌唱となるわけです。無論、ただ叫んでいるわけではないのですが、王女としての品があまりにもなさ過ぎる・・笑・・また、所謂「狂乱の場」ではもっと狂って欲しかった それに比べ、不倫を告白するジョヴァンニの複雑な気持ちをガナッシは良く表現していました。








パリを行き交う音楽家たち@Église Réformée de Paris-Luxembourg


パリ在住のオーボエ奏者坂川奈緒子さんから、週末にルクサンブール公園近くの教会で、自ら出演する室内楽のコンサートがあるとのお誘いをうけ、行ってみました。
坂川奈緒子(オーボエ)、田邊武士(ファゴット)、中本陽子(ピアノ)
プログラムは以下の通り
クープラン : 王宮のコンセール 第1番 ~オーボエ・ファゴット
フォーレ : シシリエンヌ ~オーボエ・ピアノ
ドビュッシー : ワルツ "レントより遅く" ~オーボエ・ピアノ
ピアソラ : オブリビオン(忘却) ~ファゴット・ピアノ
ピアソラ : リベルタンゴ ~ファゴット・ピアノ

サンカン : オーボエとピアノのためのソナチネ
ビゼー : オペラ「カルメン」より "花の歌" ~ファゴット・ピアノ
シャブリエ : 旅への誘い ~オーボエ・ファゴット・ピアノ
プーランク : ピアノとオーボエとファゴットのためのトリオ 
アンコールとして オッフェンバック ホフマンの舟歌

パリでは教会でコンサートがよく開かれるのですが、今回の教会はこじんまりとした教会で、玉川大学の礼拝堂を思い出しました。実践に異動する前の勤務先なのですが、礼拝の授業があり、教師もそれに参加していたのです。このとき、はじめて賛美歌を歌うことになったのですが、キリスト教は音楽の宗教であることが良くわかりました。
さて、今回のプログラム 最初から好きな曲ばかりです。プーランクの室内楽は大好きなのですが、そういえばパリでまだ一度も聞いていませんでした。坂川さんの演奏、リードの調子が悪そうなところもありましたが、表現力のある演奏でした。ファゴットの田邊さんは、新婚旅行の最中とのこと、それでアンコールはこの曲になったのでしょう。中川さんのピアノもすばらしかったです。とにかく音楽を楽しんでいるという感じが伝わってきて、好感をもてました。


Église Sainte-Odile







ピガールからトロカデロまで30番のバスに乗っていると、いつも気になっていた教会が、MACの会場のすぐそばだったので、見学した。教会の名前はサントオディール教会、高い鐘楼が気になっていたのだが、近くで見ると その敷地に起因しているのであろうが、ビザンチンの影響を受けた、独特の教会となっている。
建設時期は1935~39年(ウィキでは46年)、Jacques Bargeが設計したとのことだが、内部はステンドグラスの光でみたされる。このステンドグラス最近修復が完成したそうで、この29にちにお祝いの会があるようだ。

MAC@Espace Champeret








14区のアトリエ開放日に訪問したアーティストから招待券をいただき、MACというアートフェアに出かけた。こちらは、グランパレと違って比較的大きなスペースで、アーティスト自身が個展をするような形の催しだった。日本のメディアアートのフランスにおける現代美術への影響を調査しているので、日本的な表象を発見すると、アーティストにインタビューをするようにしている。そのうち、渋谷の女子高生や新宿の風景を表現している作家は、マンガやアニメが必ずしも好きでなくて、日本の浮き世に興味があるんだと、これじゃ印象派やジャポニズムの画家たちと大して変わらない。これは、春のOAKの展示でも同様だった。そもそもサブカルはサブカルでしかないのだ。ところで、この展示会場に日本人として一人だけ出品しているアーティストがいたので、色々と話を聞くと、この4日間の出品料は1000ユーロで、60枚の招待券と、カタログ掲載、2年間ネットに掲載してもらえるとのこと。
そのアーティスト大邊由子さんは、15区の国立工芸学校に留学して織りをやっていて、今国立装飾博物館のミュージアムショップで、彼女の作品が販売されているとのこと。平面作品は余技の様なのだが、独特の味わいをもった作家だった。

ART EN CAPITAL @グランパレ




何故か千羽鶴 その学生さんたちの作品だそうで
先日FIACというアートフェアがあったばかりというのに、同じグランパレでART EN CAPITAL という巨大なショーが開催中だ。こちらの美術アトリエに通う学生さんから、招待券をいただきヴェルニサージュに行ってみた。ヴェルニサージュということもあり、ものすごい人、そして中の作品は はっきり言って日曜画家程度のものから、それなりのものまでピンキリ その学生さんが言うところによると、一点出品すると280ユーロかかるとのこと FIACは見ていて辛かったが、こちらは微笑ましく見ることが出来るとしても10ユーロの入場料を払ってまで入らないだろうと思った。

2008/11/21

アカデミア@ボザール





ボザールのチャペルで開催中の話題の展覧会「アカデミア 君は誰なんだ」展、会期末近くになって、焦って出かけた。
平日ということもあり、会期末というのに、さほど混んでいなくて、ゆっくり鑑賞することが出来た。
この展覧会は、ボザールの石膏室=チャペル(数々の彫刻の複製がならんでいる、またミケランジェロの最後の審判の実寸の模写まである。)に、ブンダーカマー的に現代の作品をならべるというもの、その作品全てがすばらしい作品とは限らないのだが、会場の雰囲気とマッチして、とても面白い展覧会となっている。様々な美術作品がハイブリッドに展示されていながらも、ポートレートならポートレートといった具合に、アヴィ・ヴァールブルグのムネモシュネーの図版のような展示とでも言うべきか?
その中に、ビル・ヴィオラのトリスタンプロジェクトの作品もある。オペラの第二幕の映像なのだが、当然ワーグナーの音楽はここで流れず、美術作品として自立する。

内田光子のモーツァルト23/24番@音楽都市



久しぶりの音楽都市でのコンサート、今日は内田光子が指揮振りして、モーツァルトのピアノ協奏曲23番24番を演奏する。演奏は、おなじみのヨーロッパ室内管弦楽団。いつも思うのだが、最近のベートーヴェンのピアノソナタのCDジャケットに使われている写真、プリーツの服を着たものなのだあ、これがムンクの「叫び」と似ている。
今日は、舞台の真上の席で指揮振りしていても、その顔の表情が良くわかる席だったのだが、その表情は「叫び」とは全く違うが、表情豊かで 極めて温厚な感じだった。そして、本当にモーツァルトを愛してやまないことが伝わってくる。そして音も、それに素直に反応して、すばらしいコンサートだった。

パリ室内管弦楽団定期 アントナッチのベルリオーズ




19日 パリ室内管弦楽団の定期演奏会をシャンゼリゼ劇場で聞く。ウェーバーの「魔弾の射手」序曲、ベルリオーズ「クレオパトラの死」幕間後にシューベルト交響曲9(8)番グレートというプログラム


お目当ては、アントナッチが歌うベルリオーズだった。アンナ・カテリーナ・アントナッチは、2002年の新国立劇場マスネ「ウェルテル」のシャルロットを聞いたのが最初でしょうが、今年は同じくシャンゼリゼ劇場の「ファルスタッフ」アリーチェに続き二度目、いつ聞いてもすばらしい歌手です。このクレオパトラの死は、過激な表現で知られていますが、熱演というのにふさわしいものでした。


そして、メインのグレート フルトヴェングラーのグレートで育った耳からすると、ここで流れている音楽は明るく快活すぎるもの、テンポも速くて指揮者も本当に楽しそうに振っている。フランスで聞くグレートといった感じでした。

シャンゼリゼ劇場のコジ 2回目


シャンゼリゼ劇場では、先月若手指揮者ローレルによるすばらしい「フィガロの結婚」を聞いたばかりだが、同じく若手のジャン-クリストフ・スピノージによる「コジ・ファン・トゥッテ」はどんなものかと初日を聞いたが、全く駄目だった。ただ、初日は、オペラグラスを忘れて 歌手の演技の表情や、結末の部分が良くわからなかったので、たった5ユーロの券だけど、再度購入して18日に聞き直した。

席に余裕があり、下におりて、オケの真上ぐらいで聞いたのだが、ペットボトルを下に置きながらの指揮なんてみるのは初めて、スピノージはジョギングをしているように、心地よさそうに指揮をする。しかし、そこから流れてくる音楽はモーツァルトのそれでなく、自己満足的なものでしかない。

今回の演出はコメディ・フランセーズの人だったこともあってか、演技に関しては細かい指示があり、歌手も良く対応していた。問題は、ラストの解釈となるのだが、結局二組の若者は、それぞれの鞘に収まる分けでもなく、一瞬扮装していた時の別の恋人を選ぶわけでもなく、それぞれが別離するような形で舞台を去っていった。また、そのとき舞台奥の幕があがり舞台裏が見える仕組みとなっている。そして、最後にアルフォンソがデスピーナにお金の袋を投げておしまいというもの。お金が最後というのが後味の悪さをもたらすことなる。

Gyorgy Kepesh@paris photo


パリフォトでハンガリーのモダニズム写真専門のギャラリーがあり、そこにはケペッシュの渡米前の作品があった。ケペッシュはコーリン・ロウの透明性論文に強く影響を与えている人 
モホリ・ナジと一緒に行動してシカゴのニューバウハウスで教鞭をとることになる そして44年に「視覚の言語」を出版する。

2008/11/18

Clark et Pougnaud "Étrange Europe"





Clark et Pougnaud の"Étrange Europe" という作品を16区のドクトール・ブランシュ通りに面した高校のフォワイエで見る。いわずもがな、この通りのすぐそばには、ラ・ロッシュ&ジャンヌレ邸があるばかりか、展覧会会場の高校の目の前は、マレ・ステ・ヴァン通り!校内には近代建築の絵が飾られてあった。
さて、Clark et Pougnaud の作品は、ドラマ性のある作りで、またオペラや演劇の舞台写真のような感じもする。また、オマージュ作品もあるようにエドワード・ホッパーの作品とも似通っている。

エりーナ・ガランチャ リサイタル@シャンゼリゼ劇場


ラトヴィアのリガ生まれで、現在最も注目されているといっていいメゾ・ソプラノのエリーナ・ガランチャのリサイタルをシャンゼリゼ劇場で聴きました。私が彼女を聞いた一番最初は、2003年の新国立劇場「ホフマン物語」のニクラウス役、それからあれよあれよと出世していったのでした。次に聞いたのが、2005年のエクスの公演のあとのガルニエでのコジ・ファン・トゥッテのドラベッラ、このときの印象も大きいです。パリに来てからは、サン・ドニ音楽祭の開幕コンサートで、ムーティとの共演も良かった。
さて、今回はKarel Mark Chichon指揮のEuropean Sinfoniaを引き連れての公演なのですが、このオケ?どこのオケ?といった感じなのですが、今週20日に内田光子のモーツアルトの伴奏をするヨーロッパ室内管弦楽団を母体とするものらしいです。プログラムは、セヴィリアの理髪師序曲で始まり、ドニゼッティとベッリーニのベルカントものを二曲歌った後は、ビゼーのカルメンからハバネラ、セギディーリャ 、ジプシーの歌が歌われました。幕間のあと、後半はリムスキー・コルサコフの「スペイン狂詩曲」のあと、赤いドレスに着替えてのスペイン歌曲のメドレーとなりました。
カルメンは、所謂ファムファタール度が低く、僕は今ひとつ乗れませんでしたが、後半のスペイン歌曲は、作品そのものをよく知りませんが、楽しめました。それにオケもノリノリで、本当に楽しい舞台でした。

芸術は破壊するためにある モーゼ残酷物語@Paris Photo




パリフォト会場で唯一といってぐらいの映像作品
Cristina Lucasによるもので、ミケランジェロのモーゼ像を破壊するという映像。
ミケランジェロは、この作品を作りたくて作ったわけでないので、壊されて本望でしょう。


クイズ10です


少し写真が暗いのですが、この絵は誰の作品でしょうか?小林秀雄の「近代絵画」などを参照してみてください。

クイズ9の答え


随分前に出したクイズ9の答えは、ロココ美術の代表作家ワトーによる「シテール島への船出」あるいは「シテール島の巡礼」でした。船出なのか巡礼なのかは、この作品の命名の歴史によります。それは、巡礼→雅宴→船出となります。また、ドビュッシーの喜びの島のイメージの源泉といわれています。

ご近所のアトリエ開放




このアトリエは公開されていなかった
アンベールからアベス近辺のアトリエ開放があったのだが、最終日まで気がつかずに見逃すところだった。こういう企画は既に大規模な14区のアトリエ開放に出かけたことは、前にここで書いたが、こういう企画で楽しいのは、普段はいれないプライベートな空間に入れること。
今回も、そういう場所にはいれたのだが、そこはモンマルトルのアトリエ建築の事例もあり、興味深いのだが、この企画に気づいたのが遅くて、あまり良い写真はとれなかった。また、洗濯船の新しいアトリエのアーティストや、レ・フューザンも含まれていなかったのが残念だった。




2008/11/16

Yao Lu @Paris Photo



パリフォトのスポンサーBMWが与えた大賞は、中国の作家Yao Luの作品で、中国伝統の山水画のような写真、よく見ると岩に緑色のネットがかかっているだけだったりする。ディジタル処理したものなのだが、確かに独特なもの でも日本の特集なのに日本の作家がとれなかったのは残念



サイン会@パリフォト


細江英公さんのサイン会 日本で約4000円の本が、こちらで50ユーロ サインをもらうべきか否か
悩む前に帰国する際の荷物を考えてパス

米田知子@パリフォト


パリフォトに招待されたシューゴーアーツで出品されていた米田知子さんの作品が、今回出品されていた日本人作家で一番かと思った。メガネごしに著名な人のテキストなどが映し出される作品で、上の写真はマーラーとル・コルビュジエ!現在原美術館で展覧会が開催中だそうなので、是非見に行くべきです。彼女の作品に興味をもったのは、芦屋の写真からですが、理知的でいつも写真の前で立ち止まって考えさせられます。

パリフォト Guillaume Leingre 




Paris Photoというアートショーに出かけた。これは、写真を扱うギャラリーがルーブルのカルーセルにあるホールで集まって商いするというもの。基本は商いなので、売れる商品、あるいは売りこみたい商品がでてくる。今年は、日本特集で日本の写真集出版社やギャラリーがたくさん参加していたし、そうでない画廊も日本に関係する作品の展示を積極的にしている。
そのうちの一つで、Galerie Michèle Chomette のブースでみたGuillaume Leingre 
ヴィラ九条山に滞在したらしく 以下がそのコンセプト
ギヨーム・ラングルは写真家。2008年1月から4月まで、レジデントとしてヴィラ九条山に滞在します。河原温に代表されるアーティストの系譜に属するギヨーム・ラングル。その彼が日本滞在中に取り組むことになるのは、パフォーマンスや文章表現に類似した点もある、写真を用いた本格的な「アクション」。つまり、ジョルジュ・ペレックの小説『人生 使用法』の登場人物に倣って、京都の名跡を写した絵葉書を日に数枚、フランスの自分の住所宛に送るというプロジェクトです。投函に先立って、その都度位置を確認されたポストは、同じ条件でひとつひとつ写真に撮られることになります。1月31日のヴィデオラマでは、ギヨーム・ラングル本人が、この新たな「実験」について、これまでのプロジェクトやコンセプチュアル・アートの手法について語ってくれます。河添剛は大学でフランス文学を専攻。現在、美術・音楽評論家、グラフィック・デザイナー、アート・コンサルタントとして活躍中。
作品を見ると、これは河原温の系譜というよりは、パクリである。パクリにはパクリの流儀が必要なのだろうが、その辺は無反省のようだ。北斎の「神奈川沖浪裏」の写真を送り、美術館でその展示のプランが提示されている。プランをみると、それはバーゼルのバイエラーファウンデーション美術館であることがわかる。レンゾ・ピアノ設計の美しい美術館だ、このプランの部屋には、通常モネの睡蓮が飾られていて、その目の前には、ソファーがあり、ソファーの背後からはドビュッシーの「海」が流れる仕組みになっている。このアーティストはそのことを知っていて、この作品をつくったのだろうか?
周知のように、1905年にこの曲が出版されたときの表紙は、まさに北斎のこの絵だったのだが、そこまで考えているのか?疑問だ

Patrick Tourneboeuf


ヴァルドセーヌの建築学校のロビーで開かれていたPatrick Tourneboeuf のモニュメンタル場所の状態という展覧会、建築大学での展示らしく 建築写真なのだが、全てが修復中の写真となっている
上の写真はシャトレ座のもの、そういえばこちらに来てまだ一回しか行っていない 明日は日曜日11時からのコンサートに行こうかと思った。
この建築学校は工場の跡地の再利用したもので、産業遺産の再活用事例としても面白い

フリーゴでの展示


13区の国立図書館のすぐそばに、アトリエ・フリーゴというアーティストが自主管理しているアトリエがある。それに付随するアトリエLes Voûtes での展示をみる
一つは、世界の娼館を巡る
Exposition de photographies.«Un jour, la nuit » de Patrick Zachmann
もう一つは 監視下のミャンマーという政治色の強いもの
BIRMANIE, rêves sous surveillance.Manon Ott et Grégory Cohen
どちらもドキュメント系の写真なので なるほどと・・・いうぐらいしか出来ない。
この冷蔵庫フリーゴというアトリエは、いわゆる芸術家によるスクゥオットされたところらしいが、周辺の再開発との対比が興味深い


Thierry Cohen@Espace Univer


今月は、パリは写真月間ということで、至る所で写真展がひらかれている。原稿書いていたこともあって、展示を見るのを出遅れてしまった。そのうち最初にみたのがThierry Cohenという写真家の作品で電子基板と子供たちのの二重画像でBinary Kidsという展示。少しロリータ趣味的な感じがするが・・・芸術的というよりは、デザイン的といった感じか
11区の展示会場Espace Univerという展示会場もすばらしかった。彼のネットをみてみると、商業写真の分野でCDの写真も扱っていることを知る。みると、所有しているバレンボイムのタンホイザーのジャケット写真は彼の作品だったのか!

ヨナス・カウフマン@ガルニエ


コジの前にヨナス・カウフマンのコンサートにガルニエへ行ってました。このコンサートに関して、何かを語る資格はないので、写真だけのせます。夢見心地のなかで美声が響いていました。

コジ・ファン・トゥッテ@シャンゼリゼ劇場


Jean-Christophe Spinosi指揮Ensemble Matheusによる演奏は、ピリオド奏法でドライブ感はあるが、オペラの演劇的な流れを断ち切って不快な気持ちになる。演出もラストが曖昧で楽しめなかった。
歌手はそこそこだった。

2008/11/09

トリスタン2回目


指揮者のビシュコフの隣に黒子のイゾルデがいます(歌手の名前は聞き取れなかった)

6日に当日券に並び、再びトリスタンとイゾルデをみる。前回と違い、一階での鑑賞だったため、演出の様子が良くわかった。イゾルデを歌うマイヤーの調子が悪く、3幕は別の歌手が歌い、マイヤーは演技のみというアクシデント 12月3日のチケットも持っているので、ぜひ復活して欲しい。

2008/11/08

パリの未来派展@ポンピドゥーセンター

パリの秋の展覧会は、本当にピカソ一色といった感じです。グランパレの「ピカソと巨匠」は、入場一時間待ち必至なので、すく時期をねらってまだ見ていません。ルーヴルの「ピカソとドラクロワ」やオルセーの「ピカソとマネ 草上の昼食」の展示は見ましたが、その自由な線を、ただただ堪能するのみです。
さて、それらに比べるとポンピドゥーセンターの秋のメイン展示「パリの未来派」展は、地味な感じがします。この展示は、イタリアの未来派がどのように成立したのかを、パリの芸術運動から見直す展示なのですが、その一番最初に出てくるのは、当然ながらパリのキュビスムとなります。
この展覧会、前の「聖なるものの痕跡」展のような、複雑な展示空間とは異なり、かなりゆったりとした展示になっています。悪く言えばスカスカな感じがしないわけでもありません。展示は10のセクションにわかれて、その一番最初の部屋が「未来派から見たキュビスム」当然ながら、ここにピカソの作品が展示されることになるのです。私は、所謂分析的キュビスムの時代のブラックやピカソの作品は大好きなので、面白くみましたが、それから未来派そのものの作家の作品の展示に移ると、どうもしっくりいきません。ボッチョーニの作品はすばらしいと思いますが、そのほかの作品は見劣りするのです。その後、様々な影響関係が展示されますが、何か美術史の講義のスライドを見ているようで、作品から伝わってくるものを、素直に鑑賞するという気持ちにはなれませんでした。

2008/11/06

トリスタンとイゾルデ@バスティーユ第三幕




第三幕
舞台のスクリーンは縦長にかわる。そこには、第一幕冒頭同様の海の光景が映し出され、微かに船の灯りがみえる。映像は、木と空の映像に変わる。スクリーン前には台=ベットがおかれ、そこに痛手を負ったトリスタンは寝ている。哀愁を帯びた音色のコールラングレ奏者=シャルマイの音は、舞台向かって左のバルコン席にいて、そこから会場を包み込むように奏でられることになる。その間、映像は先の二幕と違い、トリスタンの心象風景を表すように、絶えず変化しながら映し出されることになる。つまり、木と空の雲、さらには水中へ、そこには水泡が下から上へと上っていく、さらには蜃気楼のような光景になり、手前には麦畑のような黄色、その背後に二人の人物が歩いているような風景、またサイロのようなものが見えると共に、一本の草がクローズアップとなったかと思うと、また水の中の映像へと変わり、男が水のなかで息を吐き水泡が上がるものへとかわる。この間、映像は色彩を有しながらも、明確な形をもたず、モワレ的あるいは、ノイズ的なものとなっている。
 次に白黒が反転しネガのような映像が映し出されるが、波なのか水流のクローズアップなのか、そしてトリスタンの弱々しい独唱が始まり、映像は一本の木が映し出される。この木の映像は神秘的な印象を与える。さらには月の映像が続き、ノイズに満ちたかと思うと、赤い水のなかで誰かがもがいているようなものへとかわる。この赤い水中の映像は、当然ながら「ミレニウムの五つの天使」からの転用であろう。
 さらに蜃気楼の映像が映し出されるが、それはだんだんとイゾルデが近づいてくることを暗示している。三度目のシャルマイの音がなると、映像は再び木と空のものにかわり、ノイズに満ちるが、次には白い衣装の女性が森の中をさまようものへとかわる。さらにノイズに満ちてはいるが、突然子供の顔が映し出され、マッチの火を消すことになる。映像は白黒で水辺のものにかわり、水が上から落ちてくることがわかる。しばらくすると、シャルマイがなると、映像には色彩が戻り、森の中の清水と木の幹を映し出すことになる。また、弱めのシャルマイの音が鳴ると、水面に木の葉が浮かぶ映像となる。
 映像は川から海へとかわり、さらにはオレンジの水のなかに身体が現れる。映像は、水中から外へと移動すると、トリスタンの絶望的な独唱へつながる。クルヴェナールが応答すると、映像は海中の草、色は青緑なものになったかと思うと、イゾルデの影を表現するあの蜃気楼の映像が映し出される。そして、再び水中の映像に変わると、そこに泳ぐ人影がみえ、水中から外にあがると、レンズに水滴がついたまま水面をうつしたかと思うと、木の映像にかわり、舞台ではトリスタントランペットが鳴り響くことになる。そして蜃気楼の映像へとかわる。
クルヴェナールがイゾルデを呼びに行き、イゾルデが到着すると、蜃気楼の映像は、オレンジ色の炎の前にしっかりと立ち、正面を見つめるイゾルデのシルエットの映像にかわる。火の前でたつイゾルデは、すでにトリスタンが死んだことを知ると、前方に歩み寄りそのまま、前方の水面に倒れることになる。倒れると、映像はその倒れた水面の揺らぎの映像のみとなるが、それは、はじめ炎の光を反射するオレンジ色の揺らぎだったのだが、だんだんと上部に青色が揺れ動くようになる。そして、この青色がオレンジ色よりも優勢になり、全体が青色へと漸次的に変化する。すると、青い水中の下方にトリスタンが横たわっている映像へとかわる。舞台上では、トリスタンは横たわっているが、そのまわりでクルヴェナーレがメロートを殺して敵を討ち、両者が果てるとマルケ王が登場する。
マルケ王はトリスタンの死を悼み、イゾルデによる「愛の死」となる。イゾルデの歌唱に合わせ、映像のトリスタンは、だんだんと水泡に包まれながら、水の中を浮上していく。そして、トリスタンが上り詰めたところで、暗転して幕となる。

2008/11/05

トリスタンとイゾルデ@バスティーユ 第二幕




第二幕
前奏曲が終わり、幕が上がると、ステージには森の風景の映像が映し出されている。
舞台手前向かって左側前方に台があり、そこにイゾルデ、舞台中央にブランゲーネが立っている。この森の映像は、明らかにベルリンのグッゲンハイムで発表されたGoing Forth By Day, 2002 の映像と類似している。
ちなみに、この作品は、7面の映像インスタレーションであったが、そのうちの一面には湖と手前に岸があり、その左側が丘の上の室内風景、丘の下の船着き場には船と荷物を積み込む光景が映し出されている。この映像は、トリスタンとイゾルデのイメージに合致するものであり、実際パリオペラ座の2005年シーズンのパンフレットでも、トリスタンとイゾルデの頁にはこの図像が採用されていた。また、別の映像では湖から人体が浮上していく光景が映し出されたが、その映像は第三幕の「愛の死」における身体の浮上とも合致している。
あるいはこの森の映像は、ルネ・マグリットの「白紙委任状」の馬と人物がいなくなったような雰囲気を醸し出している。それは、生のままの自然というよりは、マグリット同様に現実感を喪失した観念的なものであり、森の背後に広がるオレンジ色の陽の光は、日没と共に失われ、サーチライトを照らしながら森の中をさまよう映像にかわる。それは色彩感を失った世界でもある。さらに、イゾルデの独唱が始まると、月の光の映像と展開し、更に燃えさかるオレンジ色の火柱の映像へと移りかわる。このとき、舞台上のイゾルデにはオレンジ色の光が照らされる。そして、目のクローズアップの映像がインサートされると、火柱は消え、暗転する。
映像は「クロッシング」を流用したものにかわり、遠近法的消失点からトリスタンが前方にだんだん近づいてくる。近づくとともに、手前に火柱が見えてくる。それは薪を燃やしているのだが、トリスタンはその薪を蹴飛ばして通過する。ここで注意したいのは、手前の火の背後に見えている、トリスタンの映像が炎によって揺らいでいることであろう。この揺らぎ、あるいはモワレ的な映像は、この作品全体に通底しているものである。
トリスタンが火を通過すると暗転して、映像はランプに火を点すクローズアップの映像にかわる。これは「キャサリンの部屋」における「宵の映像」の転用であるが、全てに灯りを点し終わると、イゾルデは正面向いて、燭台の前方にある水を横切ることになる。この間、舞台のトリスタンとイゾルデは、青い光の中で向き合っている。燭台の映像が終わると共に、二人を照らす青い光は失われ、映像は二人の顔のクローズアップになる。二人が見つめ合っている背後をカメラが回転し、クローズアップされたイゾルデの目からは涙があふれ出る。二人が抱擁しているうちに、映像はノイズに満ちたものになり、色彩も失われる。
 舞台は暗くなり、舞台左側の台=ベットで二人は抱擁しあっている。ブランゲーネは舞台むかって左側のバルコンにたち、二人に忠告するが、二人には届かない。その間、映像はノイズに満ちたものが続くが、その真ん中に黒い影のようなものが現れると、舞台左からマルケ王とメロートが現れ、暗闇から二人の抱擁を見つめることになる。映像は、イゾルデの顔が映し出されるも、すぐにノイズに満ちたものになり、中央に黒い影が現れることが繰り返される。
 トリスタンの独唱が始まると、森の中を二人がさまよう映像にかわるが、ノイズは抑え気味である。そして、太陽の光に向かって二人は歩むが、再びノイズのある黒い影の映像にかわると、マルケ王とメロートが舞台左から現れ、二回目の目撃となる。舞台中央には、オレンジの光が照らされ、映像は手をつなぐ二人の映像にかわる。二人は海辺に近づき、そのまま海の中へ入っていき、姿がみえなくなると。映像は青い水中の二人に変わり、深く潜っていくことになり、そこで舞台は暗転する。
 映像は、クルヴェナールの叫びのあと、だんだんと夜が明けていくものにかわる。メロートが告発し、マルケ王の独白が始まると、しっかりと夜は明け、手前の木の背後に太陽がまぶしい映像となる。トリスタン和音がなり、映像は林の中をさまよう二人の映像にかわるが、だんだんとノイズに満ちたものになり、形が失われることになる。舞台ではマルケ王とメロートの前で、二人は抱擁すると、映像は光に満ちあふれるものとなり、その光の下で、トリスタンはメロートに刺されることになる。そのナイフをマルケ王はメロートから奪い、苦悩の顔を見せながら暗転して幕となる。

2008/11/04

ビル・ヴィオラのトリスタンとイゾルデ 第一幕




3年前に授業を休講にしてまで、どうしても見たかった「トリスタンとイゾルデ」、今年のパリオペラ座の日本公演でも上演されたものですが、東京で再見するよりも遅くなりましたが、パリで再見しました。
このオペラは、ピーター・セラーズ演出、そしてビデオアーティストのビル・ヴィオラが映像を手がけたもので、モルティエ総裁の自信作ともいえるもの、パリでは再々演となります。
18時から始まり、二回の休憩をはさみ、終わったのは11時20分頃の長丁場で疲れているので、今日は第一幕についてまとめてみます。
第一幕
前奏曲のあと、緞帳があがり背景には横長のスクリーン、舞台向かって右に四角い台がおかれ、その上から光が四角く照らされている。台にイゾルデとブランゲーネがいる。
杉本博司の作品のような海が映し出される。最初遠景で地平線のみであったが、次に岸が映し出され、荒波が岸に当たり波しぶきがあがる、この間の映像は、不安定で暴力的な感じを受けるが、これはビル・ヴィオラの初期の日本滞在によるHatsuyumeや、Room for St.John of the Cross.1984と似ている。霧がかかったような海の遠景に船が見えると 暗転する。
舞台では、向かって左側に、イゾルデらがいるのと同じ大きさの四角い光が照らされ、更にその光の四角の前方に青い光が四角く照らされていて、そこの右にトリスタンがたち、クルヴェナルは左に座っている。ブランゲーネがトリスタンに近づくが、その青い光の中に入ることはない。これは、ビル・ヴィオラの映像を中心とする舞台のため、光によって最低限の場所を明示しようとする工夫といえよう。
スクリーンには、四角い額縁が二つ現れるが、下の部分は額がない(つまり額の四角い門のような形になる)その半分から少し上のところに地平線が引かれ、各額縁の地平線の中央に白い光が見える。いわば、遠近法的な奥行きをもつことになるのだが、地平線の前は光と影が縞状になっていて、一様ではない。映像の消失点の光が、どんどんと大きくなるのだが、それはトリスタンとイゾルデの二人に他ならない。二人は額の門の下のところまで到着する。この消失点から前面への移動は、Crossing等の作品で見られる表現方法を流用している。
舞台では、トリスタン和音が流れ、トリスタンが舞台から去ると、映像は浄化の映像となる。それは、額縁の映像と同様に、二連祭壇画的な映像であるが、ただし額はなくなっている。それは、グレーの室内にトリスタンとイゾルデと、それぞれ背後に老人の従者がいるというものであり、二人はそれぞれ服を脱ぎ始める。二人が裸になると、映像はそれぞれ、上から流れる水の映像に変わる。この水に二人は両手で触れる、当然水しぶきがあがる。この水と手の映像は、昨年のヴェネチア・ビエンナーレの出品作=Ocean Without a Shoreや、Crossingにおいて、水が上部から落ちてくる映像と類似している。この手と水の映像は、当初背後の身体が色彩を有しながら見えていたが、だんだん暗くなり背後の身体は消滅して、水のみの映像になる。
次に、二人が丸い水鏡のような水盤の前にたっている。それに二人はゆっくりと顔をつけては、顔をあげる。これは明らかに、Surrender, 2001のイメージを利用している。また、この水面がゆれ、明確な形が漸次的に変形し消滅していく表現は、第三幕のラストにも用いられることになる。次に、当初二人は正座して座っているが、ひざまずくように体を起こし、二人の老人の従者から瓶に入った水をかけられる。つまりは、浄化されるのだろうが、この映像の雰囲気は、マザッチオ(特にブランカッチ礼拝堂の作品と酷似している)やピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画に似た静謐な雰囲気を持っている。

このような、西洋美術史のマスターピースとの類比性は、1995年のヴェネチア・ビエンナーレにおいて、ポントルモの「聖母のエリサベツ訪問」を活人画的に再現した作品「グリーティング」以降、盛んに用いられることになる。この作品を契機に、ヴィオラは映画的工房、つまり舞台美術家、大道具、衣装、化粧、照明のスタッフとの共同作業体制を構え、映像に出演する役者を選び、演技指導を行うことになる。また、高速度撮影による、スローモーションの映像を実現するのだが、今回のトリスタンプロジェクトもその表現方法を踏襲している。
 また、97年のホイットニー美術館の回顧展は、長年の友人でビデオアートのキュレイターであるデヴィット・ロスと、演出家のピーター・セラーズによる企画であった。その後ヴィオラは、ゲッティ美術館の研究員に招かれ、西洋美術史における感情表現の研究に参加する。この研究は、その後の作品に大きな影響をあたえ、2000年の「驚く者の五重奏」を経て、パッションシリーズという作品群を生むことになる。
パッションシリーズは、二つのシリーズで構成されるが、それらは投影によらず、薄型の液晶パネルによる作品であった。2000年にニューヨークのジェームス・コーハン・ギャラリーで発表された、第一シリーズには「ドロローサ」が含まれるが、それは中世後期の折りたたみ式祭壇画のような形状であり、クローズアップとスローモーションを特徴とする作品となっている。翌年ロンドンで発表された第二シリーズは「悲しみに暮れる男」「静かな山」「四人の手」「ユニオン」「サレンダー=沈潜」「キャサリンの部屋」といった豊かな作品をもたらすことになる。
パッションシリーズは液晶パネルによる比較的小さい作品であったが、ヴィオラは投影による作品を放棄したわけでなく、2001年~2年にかけて大規模なインスタレーションを発表している。それは、一つは「ミレニアムの5天使」、もう一つは「日の光で旅たつ」であり、これらの作品群のエッセンスが、今回のトリスタンプロジェクト」に活用されることになる。

舞台に戻ると、浄化のシーンのあと、媚薬のシーンとなるのだが、いったん映像は消え、次に二人の顔のクローズアップとなる。このクローズアップのシーンは、カメラが水中にあり、水の中から二人の顔を見上げるようになっている。二人は顔を見ずにつけ入れ、しっかりと水の中で目を開ける。しばらくすると、息が続かなくなり、水泡が出てくると共に水から顔をだすと、水面はゆれ、それに反映される顔が映し出されることになる。そして、この映像はフェードアウトし、また色彩も失い灰色となって明確な形は失われ、曖昧なものとなる。
次に、暗闇のかなり深いところに白い点のようなものがあり、それを上からみているようなものへとかわる。このあと白い点は、二人が抱擁しながら、水中から上に浮上しようとしていることがわかるのだが、このイメージは「ミレニウムの五つの天使」でおなじみのものであり、最後の「愛の死」でも用いられる。しばらくすると、明確に二人であることがわかり、最後に水面まで達する。そして、コーンウォールへ到着するのだが、このとき合唱は舞台におらず、客席から歌われる。それと共に映像は真っ白になり、客席の光もともり、マルケ王も登場して、最後の音が鳴り終わると、暗転して幕となる。

ナンシー名物といえば 




エクセルシオールカフェの目の前にある菓子店は、老舗といった感じではなく、いかにも駅前のお土産屋といった風情、ショーケースにはナンシーの名物菓子が並んでいる。ナンシーはパリ風とは異なるマカロンで知られていて、クッキングペーパーのにくっついたまま売られている。これはカルメル焼きのような感じで、なかなか美味、町の中心にあるMaison des Soeurs Macaronsという店が有名です。
さらに、ベルガモットの四角い飴は素朴ながら、美味しいです。以前は、ドゴール空港にも売っていたのですが、最近は売っていません。値段が高くないので、商売として敬遠されているのかもしれません。
さて、その飴の箱はスタニスラス広場をデザインにすることが多いのですが、この箱こそが、アメリーに登場するものです。この菓子屋では、そのシーンの写真まで提示されていて、それがいかにも観光客向けの駅前感漂わせていることになります。
↓25秒後ぐらいに出てきます

アールヌーヴォー様式のカフェ





ルクセンブルグ行きのチケットを購入して、1時間ぐらい時間が出来たので、駅前のブラッセリー・エクセルシオール(フロー)で朝食を取りました。これで7ユーロ、安くはありませんが、アールヌーヴォー様式の店内でゆったりと時間を過ごせました。ただ、オレンジジュースがコカコーラのグラスで出てきたのがいただけません。ここは、1910年にリュシアン・ヴァイセンビュルガーとアレクサンドル・ミエンヴィルの設計によって作られたそうです。10年ほど前に来た時も、ここでお茶をした記憶があります。ところで、珍しく紅茶をオーダーしたのですが、色々な種類があり、ベルガモットのお茶がナンシーの名物だというので、オーダーしたら、なんのことはない、アール・グレーでした。




2008/11/03

ナンシーはアールヌーヴォーの都





ナンシーはアールヌーヴォーの都と言われ、町の中に多くのアールヌーヴォー様式の建築があります。今回は、アールヌーヴォー美術館を訪問する時間がなく、次回に持ち越しとなりました。ここには、ロレーヌオペラもあることなので、リベンジすることにします。
今、フランスではトラムを街作りに積極的に取り入れています。ナンシーのトラムは、タイヤで走り、レールは一本のモノレールというか、トローリーバスタイプでした。きっと低コストなのでしょう。




2008/11/01

ナンシーの草間


スタニスラス広場に面しているMusee des Beaux Arts de Nancy には、草間弥生の作品が、これはパリのラ・ヴィレットで見たモノと変わらない。

カリエール広場からアリアンス広場へ


カリエール広場とアリアンス広場の境の凱旋門
アリアンス広場、細長い広場なのだが、風情はパリのヴォージュ広場に似ている



凱旋門の側面には、ジャック・カロの彫像がある




スタニスラス広場 その2 束の間の庭





夏の間、パリ市役所前にも「束の間の庭」がありましたが、こちらは日仏友好ということで、日本的な庭が出現していました。






スタニスラス広場 その1


市役所二階のホールよりの眺め スタニスラスの像の先に凱旋門があり、その前がカリエール広場、その後方がアリアンス広場となる。

左の建物がオペラハウス、右がグランドホテル


ナンシーはアールヌーヴォーの都ということになりますが、私の興味は、それよりもロココ時代の都市計画にあります。それは、市役所のあるスタニスラス広場、からカリエール広場を経て、アリアンス広場へと繋がるもので、都市の軸線を意識すると共に、入口にロココ様式の鉄柵があり、とても優美なのです。スタニスラス広場は、丁度パリの市役所であったのような束の間の庭が設置されていて、日仏友好150周年を祝っていました。

Nancyへ 市役所にて


着もののファッションショーも市役所の大広間で開かれ、盛況でした。


自治体会議の随行者たちの一生懸命さ?
自治体会議の様子
 しばらく更新出来なかったのは、ナンシーとルクセンブルグに行っていたからです。少しずつ、そのときのことを書くことにします。
さて、自治体会議は全国から市町村レベルの国際交流を行うもののようですが、セレモニー的な要素が強く、参加した自治体はその成果をしっかりと提示しないと、タックスペイヤーたちの反感を買いかねないと思いました。
 さて、展覧会では金沢からは加賀友禅の寺西一紘さん、京都からは錦の龍村光峯さんの作品が展示されたのですが(息子さんで周さんがこちらに来られていました)、二人からとの交流も出来て、なかなか楽しかったです。是非、ゼミ旅行等で、そういった工房訪問などを行いたいと思いました。