2008/11/05

トリスタンとイゾルデ@バスティーユ 第二幕




第二幕
前奏曲が終わり、幕が上がると、ステージには森の風景の映像が映し出されている。
舞台手前向かって左側前方に台があり、そこにイゾルデ、舞台中央にブランゲーネが立っている。この森の映像は、明らかにベルリンのグッゲンハイムで発表されたGoing Forth By Day, 2002 の映像と類似している。
ちなみに、この作品は、7面の映像インスタレーションであったが、そのうちの一面には湖と手前に岸があり、その左側が丘の上の室内風景、丘の下の船着き場には船と荷物を積み込む光景が映し出されている。この映像は、トリスタンとイゾルデのイメージに合致するものであり、実際パリオペラ座の2005年シーズンのパンフレットでも、トリスタンとイゾルデの頁にはこの図像が採用されていた。また、別の映像では湖から人体が浮上していく光景が映し出されたが、その映像は第三幕の「愛の死」における身体の浮上とも合致している。
あるいはこの森の映像は、ルネ・マグリットの「白紙委任状」の馬と人物がいなくなったような雰囲気を醸し出している。それは、生のままの自然というよりは、マグリット同様に現実感を喪失した観念的なものであり、森の背後に広がるオレンジ色の陽の光は、日没と共に失われ、サーチライトを照らしながら森の中をさまよう映像にかわる。それは色彩感を失った世界でもある。さらに、イゾルデの独唱が始まると、月の光の映像と展開し、更に燃えさかるオレンジ色の火柱の映像へと移りかわる。このとき、舞台上のイゾルデにはオレンジ色の光が照らされる。そして、目のクローズアップの映像がインサートされると、火柱は消え、暗転する。
映像は「クロッシング」を流用したものにかわり、遠近法的消失点からトリスタンが前方にだんだん近づいてくる。近づくとともに、手前に火柱が見えてくる。それは薪を燃やしているのだが、トリスタンはその薪を蹴飛ばして通過する。ここで注意したいのは、手前の火の背後に見えている、トリスタンの映像が炎によって揺らいでいることであろう。この揺らぎ、あるいはモワレ的な映像は、この作品全体に通底しているものである。
トリスタンが火を通過すると暗転して、映像はランプに火を点すクローズアップの映像にかわる。これは「キャサリンの部屋」における「宵の映像」の転用であるが、全てに灯りを点し終わると、イゾルデは正面向いて、燭台の前方にある水を横切ることになる。この間、舞台のトリスタンとイゾルデは、青い光の中で向き合っている。燭台の映像が終わると共に、二人を照らす青い光は失われ、映像は二人の顔のクローズアップになる。二人が見つめ合っている背後をカメラが回転し、クローズアップされたイゾルデの目からは涙があふれ出る。二人が抱擁しているうちに、映像はノイズに満ちたものになり、色彩も失われる。
 舞台は暗くなり、舞台左側の台=ベットで二人は抱擁しあっている。ブランゲーネは舞台むかって左側のバルコンにたち、二人に忠告するが、二人には届かない。その間、映像はノイズに満ちたものが続くが、その真ん中に黒い影のようなものが現れると、舞台左からマルケ王とメロートが現れ、暗闇から二人の抱擁を見つめることになる。映像は、イゾルデの顔が映し出されるも、すぐにノイズに満ちたものになり、中央に黒い影が現れることが繰り返される。
 トリスタンの独唱が始まると、森の中を二人がさまよう映像にかわるが、ノイズは抑え気味である。そして、太陽の光に向かって二人は歩むが、再びノイズのある黒い影の映像にかわると、マルケ王とメロートが舞台左から現れ、二回目の目撃となる。舞台中央には、オレンジの光が照らされ、映像は手をつなぐ二人の映像にかわる。二人は海辺に近づき、そのまま海の中へ入っていき、姿がみえなくなると。映像は青い水中の二人に変わり、深く潜っていくことになり、そこで舞台は暗転する。
 映像は、クルヴェナールの叫びのあと、だんだんと夜が明けていくものにかわる。メロートが告発し、マルケ王の独白が始まると、しっかりと夜は明け、手前の木の背後に太陽がまぶしい映像となる。トリスタン和音がなり、映像は林の中をさまよう二人の映像にかわるが、だんだんとノイズに満ちたものになり、形が失われることになる。舞台ではマルケ王とメロートの前で、二人は抱擁すると、映像は光に満ちあふれるものとなり、その光の下で、トリスタンはメロートに刺されることになる。そのナイフをマルケ王はメロートから奪い、苦悩の顔を見せながら暗転して幕となる。

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